中山雅史がアスルクラロ沼津と契約を更新した。2012年限りでいったん引退したとき、サッカーマガジンは緊急別冊を発行。そこに掲載されているコメントには、現役復帰した現在の姿を予感させるものがある。

「カムバックするかもしれません」

 1週間後に完成した引退記念号のタイトルは『中山雅史 不滅のゴンゴール』。その冒頭に、引退を発表した12月4日の記者会見でのコメントが載っている。

「今シーズンの最終戦まではとにかく、自分のできることに精一杯、挑戦しようと思ってやってきましたけれど、なかなか難しいとも感じました。そうしたこともあり、やはり退いた方がいいのかな、という思いに至りました」

「ただ、そうは思っても、この会見場に来るまでも『やめなきゃいけないのかな』とか『何とか続けられないかな』という思いも沸き上がりました。まだ、未練たらたらです(笑)。これでリハビリを終えるつもりもないですし、それでまたバリバリになったら、カムバックするかもしれません。そのときには、また会見を開くので、皆さんまた来てくれますか?(笑)」

画像: 1997年のJリーグチャンピオンシップ第2戦。1人少ない状況で、ボールをキープするGKに寄せて奪い取り、無人のゴールに蹴り込んだ。あきらめない男の本領を発揮(写真◎BBM)

1997年のJリーグチャンピオンシップ第2戦。1人少ない状況で、ボールをキープするGKに寄せて奪い取り、無人のゴールに蹴り込んだ。あきらめない男の本領を発揮(写真◎BBM)

 このときは笑いながら話していたが、ジョークではなかった。2015年途中にアスルクラロ沼津と契約して現役復帰。1月18日には契約を更新したことが発表され、沼津で6年目となる新シーズンを迎える。ただし、これまで試合には一度も出場していない。コンディションが厳しい状況にあることは容易に察しがつく。
 
 しかし、この記事にも一部を紹介している、引退記念号に掲載された躍動感あふれる写真を見返すと、こんな動きは望めないとしても、もう一度ピッチに立つ姿を見てみたいと思う。ゴンゴールは不滅なのだから。

文◎石倉利英 写真◎刀根裕司、BBM、J.LEAGUE

画像: 日本のW杯初ゴールを決めた1998年フランスW杯のジャマイカ戦。得点後に右足腓骨を骨折したが、顔をゆがめながらも試合終了まで走り抜いた(写真◎BBM)

日本のW杯初ゴールを決めた1998年フランスW杯のジャマイカ戦。得点後に右足腓骨を骨折したが、顔をゆがめながらも試合終了まで走り抜いた(写真◎BBM)

画像: 2012年12月に発行された引退記念号『中山雅史 不滅のゴンゴール』

2012年12月に発行された引退記念号『中山雅史 不滅のゴンゴール』


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