アスルクラロ沼津の中山雅史監督が、30年前のJリーグ開幕戦を振り返った。監督として指揮を執った5月14日の明治安田生命J3リーグ第10節・ガイナーレ鳥取戦の試合後、当時Jリーガーではなかった1993年5月15日の心境や、その後のJリーグへの感謝などを語っている。

上写真=キックオフ直前にベンチ前まで歩み寄った中山監督は、1995年にジュビロ磐田でチームメイトだった鳥取の金鍾成監督とがっちり握手(写真◎石倉利英)

■2023年5月14日 J3リーグ第10節(@ヤジン:観衆:2,212人)
鳥取 2-2 沼津
 得点:(鳥)牛之濵拓、富樫佑太
    (沼)和田育、ブラウンノア賢信

「地域の象徴になれるように頑張っていきたい」

 Jリーグ30周年記念マッチの一つとなったアウェーでの一戦を終え、30周年への思いを聞かれた中山監督は、少し笑顔を浮かべながら当時の思いを明かした。

「30年前は食堂で、テレビで見ていたので、悔しかったです。そこにいられなかった自分が。ジュビロが初年度、入っていませんから」

 中山がプレーしていたジュビロ磐田(ヤマハ発動機)は1993年のJリーグ創設1年目の10クラブ、いわゆる『オリジナル10』に入れず、同年は当時1つ下のカテゴリーとなるJFLを戦った。5月15日、華やかなセレモニーとともに旧国立競技場で行なわれたヴェルディ川崎と横浜マリノスの開幕戦を見て、悔しさを募らせていたという。

 だが、翌94年に磐田がJリーグに参入すると、中山はクラブの成長とともにゴールを積み上げ、数々のタイトル獲得に貢献した。加入当時はJ2だったコンサドーレ札幌、JFLからJ3に昇格した沼津にも所属し、Jリーグが30周年を迎えた今季は自身初の監督として、古巣の沼津を率いている。

 30年前を振り返って「あの頃の自分が、Jリーグが(早ければ)来年60チームになることを想像できたかというと、できない」と語った中山監督は、Jリーグを支えてきた人々への思いを続けた。

「ずっと地域密着で、地域の人たちが盛り上げてくれた、協力してくれた。そういうことに感謝したいと思いますし、その人たちを元気にするために、地域の象徴になれるように、僕たちは頑張っていきたいと思います」

 Jリーグを象徴する存在の一人として一時代を築いた『炎のゴールハンター』は、沼津を地域の象徴となるクラブに成長させるため、指揮官としてチームづくりと向き合っている。

現地取材・写真◎石倉利英


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