上写真=J1昇格が決まり、歓喜の表情を見せる片野坂監督
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「まずはモンテディオ山形のクラブ関係者の方々、選手、スタッフ、サポーターの方々、ホーム最終戦ということでセレモニーがあるなかでも、我々がJ1昇格を祝っているときに、温かく見守っていただき、感謝いたします」

 試合後、会見に臨んだ大分の片野坂知宏監督は、枯れた声を振り絞り、開口一番に山形への感謝の意を表した。

昇格決定試合で得た「J1への教訓」

「ミラーゲームになることは予想していた」。互いに3-4-2-1のシステムを駆使し、立ち上がりから主導権を争う展開となった。「山形の守備を崩すのは簡単ではない」という相手から、19分に幸先よく先制点を奪ったものの、その後は指揮官の見立て通り、ほとんどチャンスを作りだせなかった。

「追加点を取れなかったこと、最後は相手の勢いに押し込まれてしまったこと。厳しい試合だと感じた」

 ホーム最終戦で負けられない山形は失点に動じず、時間を追うごとに守備の堅さが増していく。J2最多76得点をたたき出した大分の攻撃力が鳴りを潜めると、徐々にホームチームの勢いに押され、攻め込まれる場面が増えていった。そして、後半アディショナルタイムに、アルヴァロ・ロドリゲスに同点ゴールを許す。

「一瞬のところで後手になると、ああいう失点が生まれる。追加点を奪える攻撃力を積み上げていかなければいけない。来季のJ1への教訓にしたい」

 土壇場で同点に追いつかれ、試合は引き分けに終わったが、他会場の結果も相まって、大分の2位が確定。J1昇格が決まった。試合内容については厳しい表情で振り返っていた片野坂監督だったが、J1昇格を果たせたことについては、「うれしいい、自分のなかでもホッとしている」と、安堵する。

「あのときのプレッシャーとは違う」

 片野坂監督が大分の指揮官となり、今季は3シーズン目。3年前、就任を要請されたときは、チームはJ2で低迷し、残留争いをしていた。「就任することを決めたときは、(翌シーズンが)J2か、J3か分からない状況だった」という。

 だが、「そのときのトリニータのサッカーを見て、私の中で描ける絵があって、引き受けた」。J3から始まった片野坂監督の挑戦。頭の中で思い描いたその絵をピッチで具現化させていき、就任1年目にJ2昇格、そして3年目でついにJ1昇格という一つの完成形を見せた。

「正直、まだJ1昇格できたという実感はないけれど……。ただ今回は、J3からJ2に上がらなければいけない、というプレッシャーほどではない。そういうプレッシャーとは、違うんですよね」

 片野坂監督だからこそ、紡げる言葉がある。プロチームの監督となってわずか3年で、“2度目の昇格”を果たした。これまでに“昇格請負人”とも呼ばれた名将はいたものの、J3からJ2、J2からJ1と、チームに二段階の昇格をもたらしたのは、25年目を迎えたJリーグの歴史上、片野坂監督ただ一人だ。

「J3降格から、ここまで簡単ではなかった。(監督就任を決めたのは)もう3年前ですか……、僕ひとりでは、ここまで来られなかったなと。サポートしていただいた皆さんのおかげ、協力があってのこと。何より選手が、僕を信じてよくついてきてくれた。最後にこういう良い結果が出て、良かったと思う。ロッカールームでは選手におめでとうと伝えたし、大分に残っている選手、スタッフ、サポーター、みんなのおかげだから、感謝しなければいけない」

 酸いも甘いも知る指揮官は、ここまでの道のりを感慨深そうに振り返り、周囲への感謝の言葉を述べる。

 そして、最後に指揮官は、照れくさそうな表情で言った。

「うれし泣きはしましたよ(笑)」

 2018年11月17日。謙虚で、正直なパーソナリティーを持つ片野坂監督が、新たな偉業を成し遂げた。

取材◎小林康幸


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