人として大きくなって仙台に戻った
2012年限りで仙台を一度離れ、浦和レッズ、セレッソ大阪と渡り歩き、多くの経験を積んできた。浦和では出場機会にあまり恵まれず、悔しい思いをした。それでも、得るものはあった。経験豊富な阿部勇樹、坪井慶介、平川忠亮らはメンバー外になっても、愚痴一つこぼさず、真摯に練習に取り組んでいた。プロとしてあるべき姿勢を学ぶことができた。セレッソ大阪では技巧派の柿谷曜一朗、山口蛍らとともにプレーし、サッカー選手として成長できた。
「僕にとっては必要な移籍でした。選手として、人として、大きくなって仙台に帰ってくることができました。2018年に再び契約を結んだときに、また被災地のために戦うんだと心に誓いました。今年は節目の10年目ですが、僕は仙台に戻ってきたときからその思いは持っていました」
仙台に再び住むようになり、海沿いの道を車で走ると、ふと昔の記憶がよみがえる。震災直後の風景だ。沿岸の住宅街が1日で消えてしまった。津波で大きな被害を受けた宮城県名取市閖上地区である。地平線が見えそうなくらい真っ平らになり、目を落とせば、漂流してきた家具や瓦礫が散乱していた。
「何もかも失くなっていたんです。あの景色だけは生涯、忘れることはできない。あれから10年が経過し、街は確かにきれいになっていますが、昔のように人口を戻すのは簡単ではありません。津波の心配をすることなく、多くの人が住めるようにするには、まだまだやるべきことがあります。僕らプロサッカー選手ができることの一つは、こうしてマスメディアを通じて、仙台、宮城、東北の現状を発信することだと思います」
今季は手倉森誠監督が8年ぶりに仙台に復帰した。”希望の光”という言葉を再び掲げ、復興のシンボルとなるべく、新たに走り出している。勇気と元気を届けるために、大事なのは結果である。昨季は17位と低迷。不甲斐ない成績を残して、ファン・サポーターの期待を裏切った。それでも、関口は巻き返しに自信をのぞかせる。
「2011年のときも、前年は残留争いをしていました。そこから躍進できたんです。前のシーズンは関係ない。うまく歯車が回り始めれば、戦えます。被災地に勇気を与えるようなパフォーマンスを見せます。最後まであきらめない姿勢を持って戦えば、必ず見ている人たちの心には響くはずです。チームとして、上位に食い込みたい。個人としても結果を残したいですが、それよりもまずはチームの結果。勝つことが一番です」
復興元年の快進撃を支えてきた男の目は本気だ。勝利がもたらす価値を知るベテランは、結果にこだわることを誓う。ここから、希望あふれるストーリーの第2章が始まる。
Profile◎せきぐち・くにみつ/1985年12月26日生まれ、東京都出身。2004年に帝京高から当時J2だったベガルタ仙台に入団。ドリブルと走力を武器に頭角を現し、09年にはJ2優勝、J1昇格に大きく貢献した。10年には仙台の生え抜きとして初めてA代表に選出されている。13年に浦和レッズに移籍し、15年からセレッソ大阪でプレー。18年に6年ぶりに仙台へ復帰した。今季で仙台在籍13シーズン目となる。171㎝、66㎏