連載『ボールと生きる。』では一人のフットボーラーを取り上げる。今回は、谷口博之の後編(最終回)。マリノス、レイソル、そしてサガン鳥栖。現役生活を終えた今も、心にあるのは仲間への感謝とサッカーへの情熱だという。

上写真=現役生活を終えた谷口は、これからまた別の形でサッカーに情熱を注いでいく(写真◎福地和男)

≫≫前編◎昨季限りで引退した谷口博之の16年「曇りなき決断」

≫≫中編◎昨季限りで引退した谷口博之の16年「一心不乱のルーツ」

文◎二宮寿朗 写真◎福地和男(インタビュー)、J.LEAGUE 協力◎羽田 エクセルホテル東急

オファーの中からマリノスを選んだ

 ロイ・キーンに憧れた。

 マンチェスター・ユナイテッドで、アイルランド代表で〝闘将〟と呼ばれた、あの人に。それはもうずっと前からのこと。

「憧れたのは(F・マリノス)ユースのころから。キーンはあんまりうまくないとは思うんですけど、タレントぞろいのあのマンUの中盤を率いていたわけですから」

 谷口博之は目指すべき自分のプレーヤー像とロイ・キーンを自然とかぶらせていたのかもしれない。うまさよりも、味のあるプレーよりも、闘い、走り、汗をかくことを。誰よりもその役割を愚直に、誰よりに忠実にこなすことを。
 
 フロンターレを去った谷口は複数あったオファーの中から、ユースから昇格できなかった横浜F・マリノスを選択した。

「いつか戻ってプレーしてみたいという気持ちはありました。(中村)俊輔さん、(中澤)佑二さん、(栗原)勇蔵さん、大黒(将志)さん……すごい先輩たちとサッカーができて学べることも多かった。俊輔さんが居残りでFK練習するのを、ファンのように見ていましたね。ホントうまいなって(笑)。試合でパス交換するのも緊張しました。2シーズンだけでしたけど、すごい先輩たちとサッカーができてよかった」

 2011年シーズンはボランチとして中核を担い、翌年には日本代表に復帰を果たしたものの、チームでは控えに回るようになっていく。そして今度は柏レイソルに移籍。出場機会に恵まれず、わずか1年でチームを離れることになった。

 目指すべき姿は見えていても、どこか殻を破りきれていないところがあった。
 サガン鳥栖との出会いによって、答えが見つかったような気がした。己が目指すところとチームのスタイルがマッチするという感覚を持つことができたのだから。

「フロンターレ、マリノス、レイソルと、いずれも素晴らしいチームでプレーさせていただきました。ただサガンに来てみて、自分のプレースタイルに一番合っているのはここかもなって思うことができた。チームとしてうまいというよりも、走り切るとか(攻守の)切り替えとか、そういうところをすごく大事にしているスタイルなので」

 自分はうまくないと感じる分、走るところ、闘うところで表現しようとしてきた。ただサガンはチーム全体の色としてそうだった。

「自分が一番へたくそなんだから走れ」から「みんなに負けずに走れ」へ。

 ポジションは関係ない。センターバックでも前線でも起用された。体をぶつけ、走り、闘い抜くだけだ。期限付き移籍だった2014年から完全移籍に切り替わった2015年、16年シーズンはセンターバックのレギュラーに定着。〝泥臭いサガン〟の象徴的な一人となった。

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