連載『ボールと生きる。』では一人のフットボーラーを取り上げる。今回は、谷口博之の後編(最終回)。マリノス、レイソル、そしてサガン鳥栖。現役生活を終えた今も、心にあるのは仲間への感謝とサッカーへの情熱だという。

仲間のために走る人のこれから

画像: 2019年12月7日、J1最終節の清水戦終了後、鳥栖の仲間とともに(写真◎J.LEAGUE)

2019年12月7日、J1最終節の清水戦終了後、鳥栖の仲間とともに(写真◎J.LEAGUE)

 サガンには結局6年間、在籍した。ここに来るまで関東のクラブ以外でプレーしたことはなかったが、佐賀での生活は「とても過ごしやすかった」という。

 プロになると決めてから、真摯に妥協なくサッカーに向き合ってきた。サッカーが大好きだから、あれほど闘い抜けたのか。そう問うと、彼はゆっくりと首を振った。そして姿勢を直したうえで、言葉をつむいだ。

「もちろん日頃からしっかりやり切れていないと試合では出し切れない。でもそれだけじゃないんです。そこにはチームメイトをはじめ仲間への感謝の気持ちが抜け落ちてはいけない。感謝の気持ちを持ってプレーすることを僕は大切にしてきました。サッカーへの敬意を持ってプレーすることを大切にしてきました。ずっと大好きなサッカーをやってきて、その部分はできたのかなって自信を持って言えます」

 サッカーは一人じゃできない。一人欠けると勝てない。全員が思いを乗せ、全員で闘い抜くことの喜びを教えてくれた、サッカーへの厚い感謝。大好きにさせてくれたサッカーへの深い愛情。それらをマックスまで感じることができたことで、谷口博之は後悔なくピッチを離れられたと言えるのかもしれない。

 セカンドキャリアの第一歩は、サガンのフロントに入って陰からチームを支えていくことになるという。

「やっぱりサッカーをやって生きてきたんで、これからもずっとサッカーとは関わっていきたいと思います。あと現役時代はオフでも100%休むのが嫌で、家族を海外旅行にも連れていってあげられなかった。どこか行けるようにしたいなとは考えています。僕はせっかちな性格だし、あんまり休みたくはないですけど(笑)」

 現役が終わっただけで、サッカーと関わる人生はむしろこれから。
 仲間のために走る人は、これからも足を止めることはない。

画像: 2019年12月7日。仲間に胴上げされる谷口(写真◎J.LEAGUE)

2019年12月7日。仲間に胴上げされる谷口(写真◎J.LEAGUE)

Profile◎たにぐち・ひろゆき/1985年6月27日生まれ、神奈川県出身。横浜F・マリノスのジュニアユース、ユースを経て、2004年に川崎Fに入団。翌05年シーズンからボランチとして定着し、06年にはJリーグカップのニューヒーロー賞を受賞、Jリーグベスト11にも選ばれた。08年にはU-23代表として北京五輪に出場している。11年に横浜FMに移籍し、13年に柏を経て、14年に期限付きで鳥栖に加入。15年に完全移籍を果たし、19年限りで現役を引退。16年のキャリアでボランチやCBとして活躍し、J1通算350試合52得点、J2通算11試合1得点の記録を残した。182cm、73kg

≫≫前編◎昨季限りで引退した谷口博之の16年「曇りなき決断」

≫≫中編◎昨季限りで引退した谷口博之の16年「一心不乱のルーツ」


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