ひざが良くなるように、いろんなことをした
だがここでも完全復活には至らない。
リーグ開幕2戦目のアウェー、神戸戦(3月2日)に出場し、3月いっぱいまではベンチ入りもできた。ルヴァンカップのグループステージ初戦、ベガルタ仙台戦(ホーム)では先発してゴールも記録した。しかし再び離脱して、リハビリ生活に戻っていく。5月に最後の望みをかけた4度目の手術を敢行したものの、好転しなかった。
「ひざが良くなるように、いろんなことを試しました。本当にいろいろと」
米ロサンゼルスで2週間の治療を受けたり、幹細胞治療やPRP療法も試した。やれることはすべてやった。だからこそあきらめもついた。
「復帰してプレーするために100%妥協なくリハビリしてきたと、やれることはやったと、それは間違いなく言えると思います。もしケガがなかったら、サッカーを続けていたでしょうね。でも、スッキリしてやめられます。(ケガをしてからの)2年間で、やめる準備ができたって言うか。表現が良くないかもしれないですけど、自分の場合は試合に出続けて急にやめるより、時間を掛けて(心の)準備ができるほうがよかったのかなって」
大好きなサッカーから離れる覚悟を緩やかに固めていった。完全復活の希望を抱きつつも、それがついえたときに失望に支配されないため、必要な時間だったと受け止めていた。10月には同い年の高橋義希に引退の意思を伝えたという。
「義希にはずっとそういう話をしていましたから。『本当に決めたの?』って聞かれて、『そう』と」
リハビリ中は「いつもの前向きなタニ」であり続けた。引退を決めてからも、チームにとって何かマイナスになってはいけないと己に言い聞かせた。
「試合に出られなくても(ケガから)2年間チームにいさせてもらって、どんな小さいことでもいいから何か力になりたいっていう思いはありました。特に意識したわけではないですけど、せめて前向きに取り組んでいる姿くらいは。
サッカーには感謝しています。サッカーを好きなのは当たり前ですけど、人間的にもサッカーに成長させてもらったなって思っています。もしサッカーをやっていなかったら、何をやっていたかなんて想像もできない。サッカーにも、みんなにも感謝しかありません」
チームにも、チームメイトにも、スタッフにも。そしてチームドクターにも。
「ドクターは僕のために必死になってやってくれました。僕も信じていました。ドクターにも〝ありがとうございました〟って心から言いたいですね」