カズ(三浦知良)が得点王のタイトルを手にしたのは1996年だった。そのキャリアの中でも特筆すべきシーズンだったと言えるだろう。24年前のカズを、元サッカーマガジン編集長の伊東武彦氏が綴る。

上写真=1996年のゴールキングに輝いたカズ(写真◎サッカーマガジン)

文◎伊東武彦 写真◎サッカーマガジン、J.LEAGUE

残り4試合で7ゴールを量産

 1996年のJリーグは16チームによる2回戦総当たりで行なわれた。アトランタ・オリンピックによる3カ月の中断をはさんだため、10チームによる開催だった93年に次ぐ短期戦。リーグ戦のあとにリーグ1位と2位、Jリーグカップ優勝、準優勝の4チームによる『サントリーカップ』という大会を開いたが、蛇足の感は否めなかった。

 リーグ優勝は初のタイトルとなる鹿島アントラーズ。Jリーグ初年度から連覇し、前年は準優勝のヴェルディ川崎(V川崎)は7位に終わった。平均観客数は前年より3600人減の1万3353人。翌年からの3年は、1万人台ぎりぎりに落ち込む。V川崎がけん引した「Jリーグ開幕ブーム」の終わりの始まりと言えるシーズンだった。

 監督交代にも揺れたV川崎でひとり気を吐いたのが、初の得点王になった三浦知良(カズ)だ。残り4試合で7ゴールを量産して、最終節でブラジル代表FWエバイール(横浜フリューゲルス=横浜F)らを抜き去った。

 23点の内訳は右足が9(うちPK2)、左足が11(うち直接FK1)、ヘッドが3。1 -0の決勝点2点を含む決勝ゴールは7。この内訳はカズの資質を物語る。利き足の右足のキックは力強く、左はコントロールに優れている。決勝点の数は「勝負強さ」を示す。

 映像を見返すと相手ディフェンスラインの裏に単身抜け出してGKをかわしたゴール、マーカーの背後から現れて折り返しをワンタッチで、あるいはファーサイドに逃げてDFの後方からヘッド。体勢を崩しながらGKがはじいたボールをボレーでたたくなど、バリエーションに富んでいる。DFに体をぶつけられながら肩でブロックしてGKのニアを鋭く抜くゴールもあった。

 短髪に厚い胸板という風貌もさることながら、プレーはしなやかさにたくましさが加わっている。当年29歳。メンタルも充実していた。サポーターやクラブから個人タイトルを期待された終盤を振り返って、カズはこう話した。

「点を取りたいという気持ちが強すぎてもいけないし、取りたいという気持ちがなければ取れないというバランスを保ちながら、1回のチャンスを活かせればいいという自信をもってプレーできた」。この年、Jリーグカップと天皇杯でも6ゴール。計29点はキャリアハイだ。

 ブラジルから帰国して6年で手にした初のタイトルには、チャンスメーカーからストライカーへの変貌を求められ、それに応えようとした本人の意識の変化が刻まれている。

 20歳代前半のころ、好きだったプロ野球の江川卓・投手の背番号にかけて、こう語っている。

「ウイングの11、ゲームメーカーの10、ストライカーの9をたした30番の感覚が理想だね。もちろんゴールは目標だけど、アシストやパスがなければゴールもない」

画像: 1996年、23ゴールでカズは得点王に輝いた(写真◎サッカーマガジン)

1996年、23ゴールでカズは得点王に輝いた(写真◎サッカーマガジン)


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