カズ(三浦知良)が得点王のタイトルを手にしたのは1996年だった。そのキャリアの中でも特筆すべきシーズンだったと言えるだろう。24年前のカズを、元サッカーマガジン編集長の伊東武彦氏が綴る。

イタリアでの経験と自覚

画像: イタリアでのプレーを経てカズは肉体改造に取り組むことになった(写真◎サッカーマガジン)

イタリアでのプレーを経てカズは肉体改造に取り組むことになった(写真◎サッカーマガジン)

 95年に日本代表監督になった加茂周は、さらに強くカズに「9番」であることを求めた。ボックスと言われるペナルティーエリアを仕事場とし、相手DFとのタフな駆け引きを要求した。

 そこにカズ自身の自覚が重なる。94年のイタリアでの経験を経て、フィジカル改造に乗り出したのだ。翌95年、体重を2キロほど増やして帰国したカズの変貌に周囲は目を見張った。

 イタリアでの挑戦は、得点1という結果に終わった。が、そこでカズはフィジカルの重要性とともに、飛び抜けたスピードを持たない自分がボックスの中で生き残るためのヒントを得ている。それがセリエA唯一のゴールであるチェコ代表トマーシュ・スクラビーのアシストによるゴールだ。長身選手の周囲を衛星のようにめぐることで、マーカーから消えてフリーになる動き方を知った。2年後の得点王の23ゴールのうち、大半はブラジル人の長身FWマグロンが加入した後半戦に生み出されてもいる。実戦で得たヒントは30歳代の活路の一つになった。

 ときに96年は日本代表のフランス・ワールドカップ予選に向けたチームづくりが佳境を迎えた年である。MF中田英寿(ベルマーレ平塚)、森島寛晃(セレッソ大阪)、山口素弘(横浜F)、名波浩(ジュビロ磐田)が相馬直樹(鹿島)ら、両サイドバックの攻め上がりを促すスタイルで、加茂の日本代表は完成度を高めていた。

 カズは自分の役割を整理して、プレスの先導役として前線に張り、相手の守備ラインをプッシュしつつ、マーカーを振り切り、タフなボックスの中で注文通りのタスクをこなしていた。

 この年、国際Aマッチ12試合で6ゴール。Jリーグでも95、96年の2年で通算得点数の半分近くの46ゴール。ストライカーに変貌した証左とも言える得点王について、カズはこう話している。

「照れくさいというか、違和感がある。来たボールを入れるというのでなく、もらって、誰かに預けて、またもらってシュートする。ゴールというのは僕にとってそういうものなんです。でも23ゴールにそういうゴールは少なくて、ストライカー的なゴールが多い。ゴールはどんなゴールでもうれしいんだけど、そういった事実を見るとプレーの変化があるのかなという気がする。それが得点王として突きつけられた」

「得点王を取ってほしいという期待の中で取れたというのは自分の中で吹っ切れたものがある。すごく自信になったし、ワールドカップ予選に向けて気持ちの上で良かったなと思える。僕はすべてはワールドカップ予選だと思っていますから」


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