5月31日、ロシアワールドカップに臨む日本代表メンバー23人が発表された。柏レイソル在籍中の選手として、2002年日韓大会に参加した明神智和(現長野)以来2人目のワールドカップ代表選手となるGK中村航輔が、日立柏サッカー場にて開かれた会見で日の丸を背負って戦う思いを明かした。
※クラブスローガンである「柏から世界へ」の旗を持ち、ワールドカップを見据える中村。 写真◎サッカーマガジン
脳震とうから回復「今、サッカーをできていてよかった」
西野朗監督が日本代表メンバーを発表してからおよそ3時間後、中村は引き締まった表情で会見場に現れた。
「目指していた舞台なので、まずはそこに行けることが素直にうれしい。何よりも日本代表としての結果が一番なので、代表としての責任を感じながら、結果で語れるようにしたい」
「小さいころ、ワールドカップを見てサッカーを始めた」と言うように、この“4年に一度の祭典”が、サッカー選手としての原点となった。なかでも、大きな影響を与えたのが日本と韓国で開催された2002年大会。少年時代の中村は、一人のGKのプレーにくぎ付けとなった。
「あの大会で注目されていたドイツ代表のオリバー・カーン選手が好きだった」
それから16年が経っても、「(本大会では)ドイツの(マヌエル・)ノイアーが出られるのか、気になりますね。もし出られなくても、バルセロナの(マルク=アンドレ・)テアシュテーゲンがいる。ドイツは良いGKが多いですから」と、やはりドイツには一目置いている。
いよいよ中村もその舞台に挑むわけだが、中断前のJ1第15節名古屋戦(○3-2)では、試合終盤の接触プレーにより、『脳震とう及び頸椎捻挫』と診断され、ロシアワールドカップ出場が危ぶまれた。それでも、そこから回復を果たし、「運が良かったと言っていいと思うし、何より豊田スタジアムのドクター、名古屋グランパスの関係者の皆さん、柏レイソルのスタッフのおかげで今の自分がある」と、感謝の思いを口にした。「今、サッカーをできていてよかった」と、感慨深そうに話す。
また、2015年には当時J2のアビスパ福岡へ期限付き移籍した。「(在籍した)1年間で福岡の仲間たちと目標(J1昇格)を達成できたことは大切な経験だし、福岡の時間は今の自分にとって大きいもの」と、自身の成長の大きな糧になったことも語る。
ロシアワールドカップのピッチに立つためには、過去2大会で正GKを務めた川島永嗣の壁を越えなければならないが、「高い壁を越えたときに見える景色というのは、本当に素晴らしいものがあると思っている。それを見られるかは、自分次第」と、定位置獲得へ意欲を燃やす。
「(2年前は)手倉森(誠)コーチ(当時五輪監督)の元で(リオデジャネイロ)オリンピックを戦ったけれど、想定していた結果を得られず、悔しい思いをした。オリンピックが終わってからは、日の丸を背負えるのはA代表しかないので、あの世界の舞台でまた戦いたいという思いはありますね」
黙々と、着実に成長を続けてきた柏育ちの守護神が、23歳でついに夢の舞台への挑戦権を手に入れた。
取材◎小林康幸