上写真=今年も青空の下で行なわれたルヴァンカップ決勝。湘南が初優勝を果たした(写真◎福地和男)

 Jリーグの開幕25周年を記念して、その歩みを取材してきた記者が振り返っていくコラムもようやく10回目。Jリーグ、天皇杯に続く「もう一つのカップ」として行なわれてきたJリーグヤマザキナビスコカップ、これに続くJリーグYBCルヴァンカップにも個人的な感慨がある。秋空に高々とカップを掲げてきたクラブは、2018年の湘南ベルマーレでついに13となった。このカップ戦を通してでなければ見えなかったサッカー人たちの愛情に思いを馳せる。

文◎平澤大輔(元サッカーマガジン編集長) 写真◎福地和男、J.LEAGUE PHOTOS

ワクワクが青い空に吸い込まれていく

 サッカーに寄り添うように暮らしてきて本当に良かったと、心の底から清々しく思う瞬間はいくつかあって、例えばルヴァンカップ決勝が始まるまさにそのときだ。

 秋の高い空。少しだけ冷たい空気に目が冴える。映えるコレオグラフィー。ゴール裏から思いを届けようとする澄んだ声。ピッチに散る選手たちから、決戦に挑む尖った集中力が弾けそうだ。高揚感で泡立つ肌。ワクワクが青い宙に吸い込まれていく。スタンドからその様子を見つめる自分の体まで一緒に浮き上がるような。

 私がこの大会が好きな理由は、まさにこの情景の中にある。

 1992年9月からリーグ戦に先駆けて開催されたヤマザキナビスコカップは、すべてがキラキラしていた。位置付けはプロリーグの「プレ大会」だったが、見る側もやる側も「プレ」などではなく、これからの日本サッカーを明るく照らす「本物」の輝きとして受け止めた。

 だから、その最初のときからずっと、この大会は私にとってはきらめきとか未来とかフレッシュさと同義だ。いまでも大会の俗称としての「ナビスコ」と聞くと、甘酸っぱい感情が立ち上ってくる。

 そして26回目となった2018年大会、10月27日の決勝・湘南ベルマーレ対横浜F・マリノス戦で迷いなく左足を振り抜いて36分に決勝点を叩き込んだのも、湘南の20歳の若武者・杉岡大暉だった。

パパ・オシムの目にも涙

 多くの国で行なわれているサッカーのトップクラスの大会には、ホーム・アンド・アウェーの総当たりで年間を通して行なわれるプロリーグ、プロアマ混在で主にトーナメント戦で頂点を争う協会主催のカップがある。日本では前者がJリーグで後者が天皇杯。そして、もう一つ、リーグ機構が開催するのがいわゆるリーグカップだ。

 ずいぶん前、確か90年代の終わりに、この「もう一つの大会」の存在はその国のサッカーの人気や文化や経済力を示す指標といえるだろう、という仮説(というほどのものでもないが)をどこかに書いた。つまりはその国のサッカー愛の強さが凝縮されている、という論調だ。

 日本の場合、詮無いことを言えば、条件は悪い。試合の多くは平日のナイトゲーム。チームによっては一線級を休ませる。試合日がナショナルチームのマッチウイークと重なれば、代表選手は出場できない。

 しかし、私たちが恵まれているのは、それでもなお「ヤマザキナビスコカップ」「ルヴァンカップ」としてこのリーグカップが95年を除いて毎年開催されていることである。2013年には「Longest sponsorship of a professional football competition」、つまり同一企業がスポンサードし続ける、世界で最も長く開催されてきた大会としてギネスブックに登録されている。

 多くのクラブがプロ移行後の「初タイトル」として杯を掲げていることも、大きな意義に数えられる。

 92年のヴェルディ川崎はもちろんとして、96年の清水エスパルス、99年の柏レイソル、2003年の浦和レッズ、04年のFC東京、05年のジェフユナイテッド市原・千葉、08年の大分トリニータ、17年のセレッソ大阪がそうだ。中でも印象的なのが、千葉である。

 2005年11月5日、東京・国立霞ヶ丘競技場で行われた決勝戦。ピッチには黄色と白の選手が散っていた。かのイビチャ・オシム率いる千葉と西野朗監督の攻撃サッカーを表現するガンバ大阪の激突だ(いま思えば、指揮官はどちらも後の日本代表監督!)。ともに初タイトルをかけて争うという見どころ満載のバトルは、延長戦までもつれ込む神経戦の末、0-0で終わった。勝負はPK戦に委ねられた。

 GK立石智紀が右に飛んでG大阪一人目の名人・遠藤保仁のシュートをいきなりストップ! すると千葉は5人全員が成功して、ついに初めてのタイトル獲得だ!!!

 …という歓喜の一方で、気になったのがオシム監督の行動だった。

 PK戦の前から大きな背中がベンチに見当たらない。何かトラブルがあったのだろうか。体調を崩した? トイレに駆け込んだ? まさか神隠し?

 この不思議な出来事については当時、小さなコラムにまとめた。少し長いが、引用する。

“初めてのタイトルを獲得し、喜び覚めやらぬ試合後の記者会見。オシム監督は「おめでとうの言葉は私にではなく、選手や多くの関係者に言ってください」と切り出し、「選手たちはキャリアの中で、一つ物ごとをやり遂げました」とたたえた。
 ところで話題になったのは、PK戦のときにオシム監督がベンチにいなかったこと。オシム監督にとってPK戦は「論理的ではない、一番論理的なルール」であり、これまでの監督人生の中でPK戦との相性がとても悪く、また120分を戦い抜いた時点で一つの結果を残したと感じたために、スタンドの下に下がったのだという。これまでにも同様の行動をしたことがあったから関係者も不思議には思わず、オシム監督は「ファンの歓声が聞こえて勝ったことが分かった」
(中略) 
 勝っても一喜一憂せずに、試合翌日も練習を11時からスタート、14時からは練習試合を組んだ。決勝で出番がなかった水本には優勝が決まってすぐに「明日の練習試合に出るように」と話すなど、「次」への切り替えは早い。それは、オシム監督にとってはこの優勝だけでは物足りないことを示している。 
 だからといって、オシム監督はこの優勝を喜ばなかったわけではない。ある関係者は「何だかんだ言っても、オシムさんも目を赤くして泣いていた。うれしかったんですね。それを見てまた感動しました」。鬼の目にも、ならぬ、「パパ・オシム」の目にも涙“

 オシムさんがどれだけ「ジェフ愛の人」であるかは、この出来事が教えてくれた。

14,256,827

 2018年10月27日の埼玉スタジアム。横浜FMが右から左から中央から手を尽くして猛攻を仕掛けて、しかし湘南もすんでのところでかき出して、を繰り返したスリルの末に、甲高いホイッスル。

 杉岡のゴールを死守した湘南が1-0で勝利を収めて、見事にこのタイトルを初めて獲得した。地面に突っ伏して涙を流した一人が、監督である曹貴裁だった。指揮官に就任して7年目。毎年のように主力が流出するなど苦しい日々で、自身も他クラブへの「移籍」のうわさがありながらも、苦境をはねのけて湘南愛を貫いた。その一つの結実となる栄光に、熱い涙はふさわしい。

 こうして2018年の決勝を終えたところで通算試合数が1431となり、2816人の選手がプレーし、1221選手が合わせて4018ものゴールを生み出し、述べ13のクラブが勝利の雄叫びを上げた。それを1425万6827人の観客が目撃してきた。26年にわたる私たちのサッカー愛の積み重ねだ。

 2018年もまた、あの決勝が始まる直前の心の震えを感じる幸せに恵まれた。それだけで、いい1年だったと言える気がする。2019年もぜひそうであってほしい。

 だから、普段はお天気にあまり関心を寄せない私も、年に1日だけ、ルヴァンカップ決勝の日だけはどんなことがあっても晴れてくれと天に祈るのだ。


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