元日本代表MFの長谷川アーリアジャスールが、約半年間の無職期間をへてJ開幕から2ヵ月遅れでピッチに帰還した。5月15日でJリーグ発足30年。かつてのスターたちの歴史、記憶がよみがえるこの時に、華々しくはないが、残したい足跡がある。「サッカー界のダルビッシュ」と呼ばれた男が突然の解雇、無職を経験、それでももう一度プロの舞台を目指した半年間の軌跡。再起を促したのはチャント(応援歌)。Jリーグのサポーターが醸成したカルチャーが、消えかけそうになった34歳の「プロ魂」をピッチにつなぎとめたーー。

開幕から2ヵ月後に届いた合格通知

画像: J3第10節、沼津戦で鳥取加入後、初先発を果たし、64分間プレーした(写真◎石倉利英)

J3第10節、沼津戦で鳥取加入後、初先発を果たし、64分間プレーした(写真◎石倉利英)

 春の柔らかい日差しが心地よく、思い出に浸っていると練習を終えた“無職”のアーリアが歩いてきた。入れ替わりにフェンスの外で待っていた大学生たちが次々、サッカー場に入る。専用の練習場ではない。プロではないサッカー選手の姿がそこにはあった。心配したこちらが「今後どうするの?」と聞く前に、アーリアが先に切り出した。

「前向きに生きていますよ。WBCも見ていたし(笑)。やっぱりダルビッシュさんは気になります。昔、『サッカー界のダルビッシュ』って言われていたのは素直にうれしいですね。でも、すごすぎですね(笑)。見ていて、自分も応援される中でプレーしたいと強く思いました。でも、海外も含めて6月までにオファーがなかったらプロサッカー選手は辞めます。その時のための準備もしていて、サッカー界以外の人とも会っています。この時間をどう有効に使うか。日々、考えていますよ」

 プレー同様に先を読み、他人の痛みにも敏感。C大阪で浮いていたW杯得点王でウルグアイ代表FWのフォルランに進んで声をかけ、橋渡しをしようとしていた。だが、令和の若者が集い、キラキラする街で会話を重ねるうちに本音も漏れてきた。

 「前は向いている。でも、朝起きたときに『もう、プロサッカー選手は辞めるしかないかな』と思う自分もいる。これも現実。それでもね。1ヵ月後に3人目の子どもが生まれる予定なんですよ。無職じゃいられないでしょ。稼がなきゃ」

 お互い年を取り、子を持つ親になっていた。でも、アーリアは4ヵ月間、無収入。通帳の数字は減る一方で、練習には身重の妻が作ってくれる弁当を持参することもあった。取材を終え、歩いているとアーリアの電話が鳴った。「昨日、子どもたちとトカゲを捕まえた場所を教えてって妻からの電話で(笑)。時間はあるから、家庭でも貢献しないとね」。春休み。午後はパパとしての仕事も待っていた。でも、その顔は少し誇らしげだった。

 サクラサク――。その願いも込めて紅白歌合戦が開催されるNHKホール近くの桜の下で写真を撮った(かなり散ってはいたが…)。記者はその時に思ったことを口にした。「歌手の人たちは60、70歳になっても紅白を目指してステージに立つ。数千、数万の観客に応援され、拍手をもらえる環境ってすごいって素直に思う。サラリーマンにはないわ。お金では買えない。プライスレス(笑)。事業は何歳でも始められる。だから、可能性がある限りは、今しかできないプロサッカー選手を続けてほしいな」。アーリアは静かに首肯し、握手して別れた。

 J開幕から約2ヵ月後の4月11日。ガイナーレ鳥取から待ちに待った「合格通知」が届いた。長谷川家にはドルにも円にもビットコインにも換算できない最“幸”のスマイルが咲いたと思う。そして、合格通知から13日後。3200グラムの三男坊が誕生した。遅れてやってきた2023年の春。再就職を果たしたパパは言った。

「生き残ったよ! 半年間、先が見えない中で自分を信じてやってきた。その姿勢は間違ってなかったと思えた瞬間だった。それ以上に、出産を控えていたのに支えてくれた妻には感謝と尊敬しかないですよ。子どもたちのためにも頑張ります」

 評価をするのは他人。だが、限界を決めるのは自分自身だ。信念こそが泥を流し、光を見せてくれる。アーリアが鳥取に旅立つ前にラインでメッセージを送ってくれた。「もう一花咲かせに頑張ってきます」。そして、遅れてやってきた“転校生”を待ち受けていたのは、時代を問わず色あせない祝福のチャントだった。

「長谷川アーリア ジャスール ジャスール ジャスール♪ 長谷川アーリア ジャスール ララララ~ラララ~♪」

 DAZNのボリュームを上げて久々に聞いたが、個人的にはJ誕生30年の歴史の中でも屈指の応援歌。やっぱり、何年たってもクセになる。(敬称略)


This article is a sponsored article by
''.