12月19日に東京・国立競技場で行われた天皇杯JFA第101回全日本サッカー選手権大会の決勝で、浦和レッズがアディショナルタイムの決勝ゴールで大分トリニータを2-1で下して、前身の三菱重工から数えて史上最多の通算8度目の優勝を果たした。

上写真=サポーターと史上最多優勝を喜びあった(写真◎小山真司)

■2021年12月19日 天皇杯第101回全日本サッカー選手権決勝(@国立/観衆57,785人)
浦和 2-1 大分
得点者:(浦)江坂任、槙野智章
    (大)ペレイラ

画像: ■2021年12月19日 天皇杯第101回全日本サッカー選手権決勝(@国立/観衆57,785人) 浦和 2-1 大分 得点者:(浦)江坂任、槙野智章 (大)ペレイラ

90分にペレイラが同点とするが…

 柴戸海の強烈な左足ボレーシュート、その次の瞬間、槙野智章だった。ボールに頭を出してコースを変えると、劇的決勝弾がゴールに吸い込まれる。叫びながら走って走って走ってゴール裏のサポーターとともに喜びが大爆発だ。浦和レッズが天皇杯決勝でドラマチックな優勝を遂げた。

 1-0で浦和がリードして進んだ試合は90分、大分がFKの流れから下田北斗のクロスにペレイラがヘッドで合わせ、土壇場で同点ゴールを挙げてついに振りだしに戻したばかりだった。延長戦と突入かと思われた90+3分のこの一撃で、浦和がカップを堂々と手にした。

 序盤の浦和のラッシュは迫力があった。特に右サイドでは関根貴大を中心に、押し込んで即時奪回して押し込んで、の繰り返し。それがすぐに実った。6分に右サイドで関根がドリブルでボックス内へ入り込むと、止められたものの、ボールを小泉佳穂が回収、さらに引っ掛けられるが再び関根が拾ってゴールライン際からマイナスのパスを送ると、フリーになっていた江坂任がそのままゴールに蹴り込んで、あっという間に先制した。

 大分はなかなか前線にまでボールを運べない展開。前半の目立った攻撃といえば、渡邉新太がダイレクトボレーで狙った21分のシーンぐらいで、シュートはこの1本だけだった。

 それが後半になるとひっくり返る。開始早々の47分、右深くを取って渡邉新太のマイナスから町田也真人が鋭く狙ったシーンをきっかけに、大分がボールをどんどん動かして浦和を押し込んでいく。浦和はカウンターで応戦、70分に関根がドリブルで抜け出して左の江坂任に預け、GK高木駿と1対1になったが、シュートは高木が鋭く反応してかき出すビッグセーブ。最後はともに交代選手のパワーでリズムをつかもうとして、終盤の連続ゴールへとなだれ込んでいった。

 90分に追いつきながら、あと一歩で優勝に届かなかった大分だが、後半持ち直して浦和を脅かした力は見ごたえがあった。この日で退任する片野坂知宏監督も、ただただ悔しがった。

「率直には、悔しい思いを時間が経つにつれて感じています」

「浦和さんがどう攻撃してくるかをこちらで管理できたところもあって、我々らしい攻撃も見られましたけど、結果に結びつかなかったのが残念です」

 6年間の指揮のラストをそう振り返った。

 自身初の決勝で見事に勝利をもぎ取った浦和のリカルド・ロドリゲス監督も、劇的な勝利を落ち着いて振り返る。

「後半にはなかなかボールを持ってプレーすることができなくなりました。点が取れず、大分もやり方を変えて前線に長身の選手を入れてきたので、こちらも形を変えて後ろに重心を重くして、1-0を守り切ろうとしました。追いつかれはしましたが、その中でも自信を持って決して臆することなく戦うことができました」

 キックオフからまもなくして動いた試合は、決勝戦らしい堅い戦いから、白熱のゴールの奪い合いへと展開した見ごたえのあるファイナル。浦和が前身の三菱重工時代から数えて、史上最多の8度目の優勝を果たし、AFCチャンピオンズリーグの出場権も手に入れた。

【浦和の優勝】
第51回=1971年度、第53回=1973年度、第58回=1978年度、第60回=1980年度(以上、三菱重工として)、第85回=2005年度、第86回=2006年度、第98回=2018年度、第101回=2021年度(以上、浦和レッズとして)

現地取材◎平澤大輔、佐藤景 写真◎小山真司


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