上写真=笑顔でオンライン会見に臨んだ前田大然。東京オリンピックという大舞台に臨む前に意欲を語った(写真提供◎横浜F・マリノス)
「悪さ」による挫折からオリンピックへ
走る。
シンプルにして最大の、前田大然の武器だ。
「フォワードは点を取ることが大事ですから、勝つためにたくさん走らないといけない。攻撃と守備の両方で見せなければいけないと思います」
脅威的なスピードは誰の目にも明らかだが、綿密な準備や計算に基づくというよりも、本人が「野性的だと思います」と表現するスタイル。それが、多くのゴールの源になってきた。
挫折はあった。山梨学院高1年のときに、本人の言葉を借りれば「悪さをしてしまって」2年生の1年間、部活動で謹慎処分を受けた。そこで、学んだ。
「自分が一番ではない。僕のことは後回しで、自分よりも周りの人、という意識です。サッカーも一緒。自分よりも仲間、そういうふうに考え方が自然となりましたね」
その思念はいまでも変わらない。いや、どんどん強くなっていく。松本山雅FCでプロになっても、水戸ホーリーホックに期限付き移籍しても、ポルトガルのマリティモで挑戦しても、横浜F・マリノスに加わっても、〈自分より仲間〉の意識はどんどん大きくなっていく。そうやって、オリンピック行きの切符を手に入れた。
松本でプロになった最初に宣言した「東京オリンピックに出る」の言葉は、見事に有言実行になったのだ。
「プロに入ってオリンピックに出たいと言っていましたけど、そのときはそこまでのレベルに達していなかったし、本格的に思い始めたのは初めて年代別代表に選ばれてから、ですね」
言霊、というべきか、〈オリンピック〉を口にした事実が前田を導いていく。
「入団のときにインパクトを残そうという思いがあったし、覚えてもらうためもありました。オリンピックに出ると言ったことで逃げられないと思うので、プレッシャーの中でやるのもいいと思って言いました」
大胆な発言で自分を鼓舞するのは初めての出来事だったというが、それから5年で大願成就だ。
すでにポルトガル・リーグのマリティモで「世界」を経験しているが、それはその国での話。オリンピックという世界大会で、自慢の快足を生かして暴れる準備はできている。
そんな〈走る〉にもテクニックがある。例えば、こうだ。
「攻撃のときは意識していないんですけど、守備のときはわざと相手にボールを触らせて余裕を持たせておいてから取りに行くとか、守備のところではいろいろ考えています」
多くを明かすことはできなかったが、攻撃では持てる力を自由に解放し、守備では細工を仕込む「大然流ラン」。オリンピックの舞台でもそのやり方で圧倒する。
「守備でボールを取ったら楽しいですし、僕がそうすればチームが勝てると証明できています。これをやれば勝てると思っているので、そのためにならいくらでも走れます」
勝利のために、走る。日本がオリンピックの頂点に立つとき、誰よりもピッチを駆け回る前田の姿がそこにあるはずだ。