上写真=橋本のFC東京でのラストマッチは「浦和への初勝利」(写真◎Getty Images)
青赤魂を持って
すすり泣きから、始まった。
一度も勝ったことがなかった苦手な浦和レッズに2-0と快勝したあとの味の素スタジアム。多くのサポーターが橋本拳人の登場を待っていた。ロシアのFCロストフに移籍するため、これがラストマッチ。試合後に移籍のセレモニーが始まろうとしていた。
多くのサポーターが見守ってくれるとはいえ、声を出してはいけないから、スタンドを静寂が包む。成長をたどったムービーがビジョンに流れ出し、見終わって、さあ、あいさつ、というときに、すすり泣きだった。
顔を上げると、目に涙。「心の底から大好きなFC東京」を離れることの寂しさを語り、「FC東京を優勝させてから行くという約束を破ってしまい、申し訳ございません」と謝り、葛藤と感謝と決意を語り、「青赤魂を持って世界で戦ってきます」と宣言した。
前夜の余韻は翌日も残っていた。「正直まだあんまり実感がわかず、本当にFC東京でのサッカー人生が終わってしまったんだな、というところと、やり残したことあるけれど、これからまた新たな戦いがが始まるなという気持ちです」
石川直宏の怒り
FC東京は橋本のほとんどすべてと言ってよく、小学校5年生で「サッカーの楽しさを教えてもらった」というスクールに入り、アカデミーからトップへと駆け上がった。一番の思い出を聞かれると「初出場して初ゴールした瞬間は忘れられないですし、一番鮮明に覚えていますね」と即答。2015年6月7日、J1リーグ1stステージ第15節、松本山雅戦の27分のことだ。左からの太田宏介のクロスをニアに飛び込んで左足で押し込んだ一発。ここから橋本のプロ生活は始まった。
2013年途中から14年までのロアッソ熊本への期限付き移籍も挟み、FC東京の主力へと成長していくのだが、特に18年からの成長曲線は急激に上向きになった。19年には日本代表にコンスタントに呼ばれるようにもなる。
背番号を18に変えたことと無関係ではない。憧れの石川直宏が大事にしていた番号を譲り受けたことで、心が変わった。
「18番を背負ったときは、このチームに骨を埋めるというか、長くプレーしてFC東京の象徴となる選手になるという気持ちで付けさせてもらいました。それが、2年半という短い期間で18番を脱ぐというのは、ファン・サポーターの皆さん、なおさん(石川)を応援していた人や、なおさん自身にも申し訳ない気持ちがあります」
そんな心残りがあるから、セレモニーの終盤に「わがままですが、18を空けておいていただいたらうれしいです」と言って笑わせた。しかしその直後、石川から花束を渡されたときに言下に否定された。
「なおさんに花束もらうときに、僕が18を空けておいてくださいと言ったんですけど、そんなこと言ってんじゃねえ、そんなんじゃ向こうで活躍できねえぞ、って怒られました。戻ってくることを考えずに、向こうで活躍しなきゃと思わされましたね」
最後にあこがれの人が厳しいメッセージを送ってくれた。究極の餞別ではないだろうか。
FC東京でのラストゲーム、浦和戦のキックオフ直前には「噛み締めてプレーしようと思いましたし、何よりいままで勝ったことのない相手だったので、倒したいという気持ちをしっかり持って、自分のすべてを悔いのないように出し切ろうと思っていました」という。その言葉を実現した「最後の90分」になった。有言実行。これまでと同じように、橋本らしい最後だった。
「幸せな時間を過ごせましたし、僕の中では宝物として頑張っていきたい」
FC東京で育ち、FC東京のために戦い続けた孝行息子、いざロシアへ!
(後編は7月20日公開予定です)