高校年代の選手やチームの物語を紡ぐ、不定期連載の第3回。今回は、無念の負傷離脱後、晴れ舞台での選手宣誓や『トルメンタ』でのベスト4進出など、激動の3週間を過ごした高川学園高の主将・奥野奨太の物語を綴る。

高川学園で過ごした6年間

 1月8日の準決勝で、高川学園は優勝候補筆頭の青森山田高(青森)と対戦。この日もサポートメンバーとなった奥野は、複雑な思いで試合を見ていた。

「選手宣誓をしたとき、国立競技場のスケールの大きさに圧倒されて、ここでプレーしてみたいと思いました。みんなが本当に楽しそうに、うれしそうにプレーしていたので、うらやましかったです。自分もやりたかった」

 3回目の準決勝で初の決勝進出を目指した高川学園だが、開始3分に先制されると、26分には2点目を奪われる。奥野が「プレーの強度やフィジカルのレベルが違う」と語った圧倒的な力の前に後半も失点を重ね、0-6の大敗。高川学園のCKはゼロ、得点につながりそうな位置からのFKもなく、一度も『トルメンタ』を出すことができなかった。

 代わりにキャプテンマークを巻いて奮闘したMF北から「決勝に連れていけなくて、ごめん」と謝られたが、「ここまで連れてきてくれて、ありがとう」とお礼を言った。3位の表彰状を手に応援団が陣取るバックスタンドにあいさつして、高校サッカーが終わった。

画像: 準決勝で大敗。それでも奥野(右端)は表彰状を手に、胸を張ってスタンドにあいさつした(写真◎小山真司)

準決勝で大敗。それでも奥野(右端)は表彰状を手に、胸を張ってスタンドにあいさつした(写真◎小山真司)

 無念の負傷、選手宣誓、大会中に名付けられた『トルメンタ』でのベスト4。年末から年始にかけて、まさに『嵐』のような激動の3週間を過ごした。1月21日に左ヒザの手術を行ない、当面は復帰に向けてリハビリを進める。

「高川学園中から6年間、ここでサッカーをやってきました。サッカー選手としてだけでなく、一人の人間としても成長することができたと思います。キャプテンもやらせてもらい、周囲のことに気付く力など、いろいろなことを学ぶことができました」

 卒業後も駒澤大に進んでサッカーを続ける。「現時点でプロに行ける技術は持っていないので、頑張って努力していきたい」という思いとともに、もう一つ、大きな目標がある。

「いつか、国立競技場でプレーしたいです」

取材・写真◎石倉利英


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