上写真=先発フル出場を果たした町田(写真◎山口高明)
■2020年1月1日 第99回天皇杯決勝
神戸 2-0 鹿島
得点:(神)OG、藤本憲明
剛さんにはたくさん教わった
前半の出来が悪かった。チームとしても個人としても。4-4-2のフォーメーションで臨んだチームは、相手の3-4-3にプレスがハマらず、常に後手を踏む展開になった。町田が振り返る。
「やっぱり、相手の攻撃にうまく対応できていなかった。それに尽きると思います」
前半に、悔やみきれない2失点。相手のサイド攻撃に対してスライドが遅れ、たびたび攻略されることになった。後半、鹿島が3バックに変更して対応。マークをはっきりさせたことで改善されたが、時すでに遅しだった。
「どうしてもスライドだったりズレが出てきてしまう組みあわせでした。そこをいかに少なくしていくかだったと思うんですけど、実際にやってみて、ズレは出てしまいますし、後半にフォーメーションを変えたことで、あれだけうまくいくというのであれば、もう少し早く変えていれば。そこは自分たちでできればよかった」
後半の鹿島は相手の陣形に噛み合わせることでプレスがかかり、チームの重心も高くなって守備から攻撃への切り替えが随分とスムーズになった。なぜ、それをもっと早いタイミングで、ピッチ内の選手たちができなかったのか。町田は後悔を口にした。
1年を通して、サイドバックやセンターバックとしてプレーし、天皇杯でも決勝を含む6試合のうち、5試合で先発。コンスタントに出場機会を得たという意味では、2019年はキャリアの中でも最も充実したシーズンになった。試合経験を重ね、着実な成長を遂げたが、最後の最後で悔しい結果が待っていた。
「センターバック、サイドバックと両方やって、1シーズン通して戦えたというのは自分にとって収穫ですし、その中で色んなFWだったり、サイドハーフだったりと対峙して成長できたとは思いますけど、それをタイトルに結びつけられなかったことがすべてです。
まだ上の人に引っ張ってもらった印象があるんで、もっともっと自分が引っ張っていく存在にならないといけない。選手も変わって、来年はコーチ、監督も変わりますけど、そういう中でも鹿島というチームを体現していく選手にならなければならないと思います」
鹿島を体現する選手――とは、すなわち、タイトルをチームにもたらす選手になるということ。それはこの試合を最後に退任する大岩剛監督が常々言っていたことでもある。同じCB出身の大岩監督は、長身で左利きという世界的に見ても希少なCBである町田の大成を強く願ってきた一人だった。
「CBだった監督なんで、CBとしてのあり方だったり、細かいポジションだったり、体の当て方だったりというのはたくさん教えてもらいましたし、自分が1年目の時は剛さんはコーチで、本当に付きっ切りで教えてもらっていた。今日、タイトルを取らせてあげられなくて悔しいですし、胴上げして終わりたかった」
このタイミングでの恩返しは叶わなかった。次なるタイミングがあるとすれば、町田が実際に「鹿島を体現する選手になってみせた」ときだろうか。
悔しさを消化する間もなく、4日には日本代表としてAFC U-23選手権に出場するためにタイに飛び立つ。「すぐには切り替えられないですが、国を背負って戦う以上、試合に入るときにはしっかり切り替えて、オリンピックに向けた大事な戦いですし、メンバー選考に向けての大事な戦いなんでしっかり優勝して帰ってきたいなと思います」。
鹿島の一員として2年続けて無冠に終わるわけにはいかない。そして今年は東京五輪が開催される年でもある。町田にとって、2020年は勝負の年になる。
取材◎佐藤景 写真◎山口高明