日本時間4月11日(日)と12日(月)に開催される「レッスルマニア37」を前に、世界最大のプロレス団体『WWE』のウィリアム・リーガルと、イングランド・プレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCで長年にわたり育成に携わった名指導者トニー・カーが語り合った。テーマは「どのように才能ある選手を見つけ、世界中で愛されるスターに育てるのか」。育成のプロフェッショナルによる異色対談が実現した(文・写真/(C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.)。

上写真=WWEで育成を担当するウィリアム・リーガル(左)と長くウェストハムで育成を担当したトニー・カー((C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.)

■プロフィール
ウィリアム・リーガル◎10年以上に渡り、WWEにおける選手育成の重要な役割を担う。現在のタレントロースターの実に95%がWWEの選手育成システムを経て活躍をしている。その中から、サーシャ・バンクス、セス・ロリンズ、ダニエル・ブライアン、ビアンカ・ブレアー、ケビン・オーエンスらが「レッスルマニア37」に出場する。

トニー・カー◎ウェストハム・アカデミーの育成ディレクターを43年に渡り務め、多くの若い選手たちをプレミアリーグのスターへと育てた。ウェストハムのアカデミーは世界でもトップクラスの選手育成システムとの評価を得ており、輩出した選手たちにはフランク・ランパード、リオ・ファーディナンド、ジョー・コールをはじめワールドクラスの名前が並ぶ。

ブライアンはかけがえのない存在になると訴えた(リーガル)

 WWEであろうと、プレミアリーグであろうと、若いタレントを世界レベルまで育てることは、成功に導くための基礎づくりという点からも大変重要なことである。長きにわたり『育成』という仕事に携わってきた二人が、それぞれの立場からスター育成論を語るーー。

――選手をリクルートするにあたって、直感的な部分と特定のスキルなどの判断基準があるとすると、どちらを重視するものですか。

リーガル 私の見解を言うなら、スキルだけでは判断しません。もちろん、それは大切な要素ですが、必ずしもスキルのある選手である必要はないからです。観客とコネクトできたり、人を魅了することができることが、より重要です。例えば、空港の中で100メートル離れたところから誰かが歩く姿を見て「こいつは何かを持っている」と感じることがあります。それはとても重要な要素でしょう。
 私にはWWEに挑戦したいという様々スポーツのアスリートに会う機会がありますが、たとえ彼らが10個の金メダルを持っているとしても、学ぼうとする姿勢がなければWWEでは成功できない。プラスアルファの要素を持っていてスターの素質充分でも、そこにたどり着くまでに5年かかることも珍しくはありません。

カー 私の場合は直感です。会ってみて感じる部分ですね。「この子を信じてみよう」「この子は特別だ」と思えることです。常に成功するわけではありませんが、私の場合はそれがスタートになります。サッカーの観点からお話しすると、われわれが最初に見るのは、指示やコーチングされる前に、その選手が何を自然にできるかという部分です。そして次に見るポイントは、将来を見越して「どのように育てられるか?」「チームにどのようにフィットできるか?」「彼はディフェンス、またはオフェンスどちらに向いているか?」「考えて試合をするタイプの選手か?」「彼はリーダーか?」などの部分です。多くは人格やパーソナリティーといったところになります。これら全てが、いち選手を育成する上で絡み合う、重要な要素になるからです。
 育成には時間がかかります。プレミアリーグは、非常に若いうちから才能ある選手を探しています。今では7歳や8歳ぐらいの子どもたちの将来の可能性を見極めている。そして8歳、9歳になると年間契約を結び、クラブに在籍することもある。そこからは長期的に育成していくわけですが、「育てる」のか「育つ」のか。魔法のような公式など存在しませんから、その見極めも重要です。

ーー若い選手を育成するとき、どのくらいの段階で、将来プレミアリーグやWWEでスターになれると確信できるものでしょうか。

カー 個人によって違いますね。例を挙げましょう。ジョー・コール(元イングランド代表/MF)は、スカウトが彼を連れてきて、テストとして練習試合に出しました。当時、ハリー・レッドナップがトップチームの監督を務めており、視察に来ていました。そして前評判の高かったこの12歳の少年に注目しました。
 誰もがまず最初に「この年齢でここまでうまいとは!」と感じていました。一部分だけが優れているわけではありません。チームと融合し、懸命にプレーもしました。ボールを失えば全力で奪い返しに行き、倒されてもすぐに起き上がる。そしてボールを持てば敵陣へと持ち込んで行きました。ハリーが「門をすぐに閉じて、私が彼と話してその場で契約するまで両親をここから出すな」と言ったことを覚えています。
 われわれは「これだけの才能がある子が成功できなければ、自分たちのやり方が間違っている」と自覚しました。その5年後、ジョーはトップチームで活躍し、世界中の誰もが知るプレーヤーの一人になりました。その一方で、デクラン・ライスのような選手もいます。14歳でウェストハムに来たのはチェルシーにリリースされた後でした。チームのスカウトたちに、私は「彼を見てみよう。連れてきてくれ」と話し、実際に何度か彼がプレーするのを見て「この子は活躍できる」と感じました。ただ、ジョー・コールのような衝撃度ではなかった。
 ですが今やイングランド代表になり、その価値は7000万ポンドとも言われています。ウェストハムではレギュラーとして活躍し、チームのベストプレーヤーになりました。14歳の時点では予測できなかったことです。基礎があり、それこそが「私に彼を育てられるか? 目を配って向上心を持たせられるか? 時には厳しい状況に置いて本当の彼を見いだせるか?」などと自問することにもなりました。そして実際にそれにトライし、彼は予想を遥かに超えるスピードで成長し、驚かされることになりました。

リーガル トニーの話を聞きながら、ダニエル・ブライアンのことを思い出していました。ダニエルは、私がその成功を確信した数少ない選手の一人です。会社に対し「彼が世界チャンピオンになることは保証できない。彼が大金を稼ぐことも保証できない。ただ、彼は100パーセントのプロフェッショナルであり、この会社にとってかけがえのない財産となることは間違いない」と訴えました。
 ダニエルはショーン・マイケルズのスクールで学び、私からも多くを学ぼうとしました。当時、この業界では身長180センチ以上でスーパーヒーロー的なルックスが必要とされていた。だから彼は多くの壁を乗り越えなければなりませんでした。
 WWEはプロレスラー としては「若くて小さ過ぎる」という理由からダニエルを解雇したことがあります。そこで私は彼が古いイギリススタイルに興味を持っていて、そこから学べることも多いと感じ、ダニエルをイギリスに行かせました。彼はイギリスとアメリカを行き来して、様々な土地で試合をした。私は日本の団体とも話して、そこでもトレーニングをして学べるようにしました。
 彼のプロレスに真摯に向き合う態度から、究極のプロフェッショナルになれることを確信していました。ただ、WWEチャンピオンにまで登り詰めるとは分かりませんでした。
 サーシャ・バンクスも良い例です。彼女の中に私がこの業界で成功するために必要と思う全てがあると確信し、100パーセントのサポートをしました。

画像: ダニエル・ブライアン

ダニエル・ブライアン


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