前後2つの基点
エレラの功績は、カテナチオに基づく「速攻」の革新にあった。攻撃面を改良したわけだ。
「モダンサッカーの肝はスピードだ。思考、走力、プレーの速さが私のチームの基盤になる」
エレラの弁だ。まさに、急がば急げーーである。実際、対戦相手の多くが、インテルのハイテンポな攻守にのみ込まれていった。
逆襲へ転じてから、速く、巧みに攻め切るための工夫を、したたかに施している。独特の人員配置も、その一つだ。
インテルの布陣はWMシステム(3-2-2-3)の改良版である。左のハーフバック(6番)を3バックの背後に下げてリベロに使い、右のハーフバック(4番)を中央へ動かした1-3-3-3がベースだが、インテルのそれはほぼ原型をとどめていない。
最大の妙味は2列目からバックラインの手前に落ちたインサイドレフト(10番)だ。スペイン人のルイス・スアレスである。バルサから大枚をはたいて引き抜いたエレラの秘蔵っ子だ。この人こそ、ボールの集配を司る速攻の基点だった。
エル・アルキテクトーースペイン語で『建築家』と呼ばれたスアレスを、最大のボールの回収地点(バックライン)に近づけることで、効率よく反撃に転じる。それがエレラの狙いだった。
こうして中盤の深い位置に陣取る司令塔が生まれた。前線に絶妙のロングパスを放つスアレスは、あのアンドレア・ピルロに先立つ『レジスタ』の元祖だった。
逆に2列目から半歩前進したのがインサイドライト(8番)だ。9番の背後から縦横に動き回ってフィニッシュに絡む。現在で言うメッツァプンタ(1・5列目)やトレクアルティスタ(トップ下)の役回りに近い。
これが若き『イル・バッフォ』(口ヒゲの男)の当たり役となった。偉才サンドロ・マッツォーラだ。速く、巧みで、自らボックス内に切り込み、点まで奪う。およそ40年後に現れる彼のレプリカがミランで大活躍したカカだろう。
既存の枠組みに縛られず、仕事の効率化を進めた適材適所。攻撃の要衝を前後に分散させ、見事にインフラを整えた結果、インテルの繰り出す速攻は空前の破壊力を持つことになった。
もっとも、エレラの革新はこれだけではない。時間(スピード)に加え、空間(スペース)の扱いをめぐるイノベーションを起こしてもいた。それが、敵をまんまと欺く「偽装」の魔術だった。
未来を先取る「翼」
インテルの最盛期は1964年と1965年。チャンピオンズカップを連覇したシーズンだ。
決勝の舞台で覇権を争ったのはレアル・マドリード(スペイン)とベンフィカ(ポルトガル)である。どちらも、インテルの斬新な速攻に虚を突かれた。マンマークを逆手に取られたからだ。エレラの企図は、空間を作り、生かすポジショナルスイッチ(配置交換)にあった。
「ビンから栓を抜けば、ワインを意のままに注ぐことができる」
エレラの言葉だ。行く手に立ちはだかる敵を動かしてしまえばいい――というわけである。実際に「栓を抜く人」がいた。アウトサイドレフト(左ウイング=11番)のマリオ・コルソだ。
神出鬼没。ウイングとは名ばかりの遊撃手だった。イタリアでは『フィンタ・アラ』と呼ばれていた。偽の翼という意味だ。コルソは生粋のファンタジスタで、その左足は魔法だった。放っておけば危険である。敵も必死に食らいつく。すると自陣右サイドにぽっかりと穴ができた。
つまり、インテルは「左の栓」を抜いて、ワインを注いだのである。横から9番とマッツォーラが流れ込み、後ろからはフルバック(サイドバック=3番)が豪快に駆け上がった。
相手を驚かせたのは「3番」のほうだ。進撃の巨人ジャチント・ファケッティである。この人こそ「攻撃的サイドバック」の先駆者だ。しかも、得点力まで備えていた。セリエAで2ケタ得点を記録するシーズンもあったほどだ。
このファケッティの攻撃参加と、その鼻先へボールを落とすスアレスのロングパスは相性抜群。インテルが速攻へ転じるときのメインルートの一つとなった。
対照的なのは右である。
アウトサイドライト(右ウイング=7番)はむしろ、後ろに下がった。走力に秀でたブラジル人のジャイールが、ピストン輸送を一手に引き受けていた。
左は下から上へ、右は上から下へ――。出発点こそ違うものの、どちらも縦の長いゾーンを、ほぼ一人で担っている。当時の基準で言えば破格の運動量だ。それが、スペースを有効に使うための強力な武器となった。
左翼と右翼もまた、未来を先取りしていたのである。