サッカー世界遺産では語り継ぐべきクラブや代表チーム、選手を紹介する。第34回はのちにイタリアの代名詞となる戦術を確立したクラブを紹介する。圧巻の強さで、グランデ(偉大)の名を冠して対戦相手に恐れられた1960年代のインテルだ。

前後2つの基点

画像: 1964年11月のチャンピオンズカップ、ディナモ・ブカレスト戦でシュートを放つマッツォーラ(写真右◎Getty Images)

1964年11月のチャンピオンズカップ、ディナモ・ブカレスト戦でシュートを放つマッツォーラ(写真右◎Getty Images)

 エレラの功績は、カテナチオに基づく「速攻」の革新にあった。攻撃面を改良したわけだ。

「モダンサッカーの肝はスピードだ。思考、走力、プレーの速さが私のチームの基盤になる」

 エレラの弁だ。まさに、急がば急げーーである。実際、対戦相手の多くが、インテルのハイテンポな攻守にのみ込まれていった。
逆襲へ転じてから、速く、巧みに攻め切るための工夫を、したたかに施している。独特の人員配置も、その一つだ。

 インテルの布陣はWMシステム(3-2-2-3)の改良版である。左のハーフバック(6番)を3バックの背後に下げてリベロに使い、右のハーフバック(4番)を中央へ動かした1-3-3-3がベースだが、インテルのそれはほぼ原型をとどめていない。

 最大の妙味は2列目からバックラインの手前に落ちたインサイドレフト(10番)だ。スペイン人のルイス・スアレスである。バルサから大枚をはたいて引き抜いたエレラの秘蔵っ子だ。この人こそ、ボールの集配を司る速攻の基点だった。

 エル・アルキテクトーースペイン語で『建築家』と呼ばれたスアレスを、最大のボールの回収地点(バックライン)に近づけることで、効率よく反撃に転じる。それがエレラの狙いだった。

 こうして中盤の深い位置に陣取る司令塔が生まれた。前線に絶妙のロングパスを放つスアレスは、あのアンドレア・ピルロに先立つ『レジスタ』の元祖だった。

 逆に2列目から半歩前進したのがインサイドライト(8番)だ。9番の背後から縦横に動き回ってフィニッシュに絡む。現在で言うメッツァプンタ(1・5列目)やトレクアルティスタ(トップ下)の役回りに近い。

 これが若き『イル・バッフォ』(口ヒゲの男)の当たり役となった。偉才サンドロ・マッツォーラだ。速く、巧みで、自らボックス内に切り込み、点まで奪う。およそ40年後に現れる彼のレプリカがミランで大活躍したカカだろう。

 既存の枠組みに縛られず、仕事の効率化を進めた適材適所。攻撃の要衝を前後に分散させ、見事にインフラを整えた結果、インテルの繰り出す速攻は空前の破壊力を持つことになった。

 もっとも、エレラの革新はこれだけではない。時間(スピード)に加え、空間(スペース)の扱いをめぐるイノベーションを起こしてもいた。それが、敵をまんまと欺く「偽装」の魔術だった。

未来を先取る「翼」

 インテルの最盛期は1964年と1965年。チャンピオンズカップを連覇したシーズンだ。

 決勝の舞台で覇権を争ったのはレアル・マドリード(スペイン)とベンフィカ(ポルトガル)である。どちらも、インテルの斬新な速攻に虚を突かれた。マンマークを逆手に取られたからだ。エレラの企図は、空間を作り、生かすポジショナルスイッチ(配置交換)にあった。

「ビンから栓を抜けば、ワインを意のままに注ぐことができる」

 エレラの言葉だ。行く手に立ちはだかる敵を動かしてしまえばいい――というわけである。実際に「栓を抜く人」がいた。アウトサイドレフト(左ウイング=11番)のマリオ・コルソだ。

 神出鬼没。ウイングとは名ばかりの遊撃手だった。イタリアでは『フィンタ・アラ』と呼ばれていた。偽の翼という意味だ。コルソは生粋のファンタジスタで、その左足は魔法だった。放っておけば危険である。敵も必死に食らいつく。すると自陣右サイドにぽっかりと穴ができた。

 つまり、インテルは「左の栓」を抜いて、ワインを注いだのである。横から9番とマッツォーラが流れ込み、後ろからはフルバック(サイドバック=3番)が豪快に駆け上がった。

 相手を驚かせたのは「3番」のほうだ。進撃の巨人ジャチント・ファケッティである。この人こそ「攻撃的サイドバック」の先駆者だ。しかも、得点力まで備えていた。セリエAで2ケタ得点を記録するシーズンもあったほどだ。

 このファケッティの攻撃参加と、その鼻先へボールを落とすスアレスのロングパスは相性抜群。インテルが速攻へ転じるときのメインルートの一つとなった。

 対照的なのは右である。

 アウトサイドライト(右ウイング=7番)はむしろ、後ろに下がった。走力に秀でたブラジル人のジャイールが、ピストン輸送を一手に引き受けていた。

 左は下から上へ、右は上から下へ――。出発点こそ違うものの、どちらも縦の長いゾーンを、ほぼ一人で担っている。当時の基準で言えば破格の運動量だ。それが、スペースを有効に使うための強力な武器となった。

 左翼と右翼もまた、未来を先取りしていたのである。


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