キングと闘将
常にユニフォームの襟を立て、背筋をピンと伸ばし、次々と魔法の杖をふるう。カントナは、ボスの求めてきた天才だった。
鋭いパスで味方を生かしたかと思えば、美しいロブでGKの頭上を破り、ゴールネットを揺らす。持ち前の攻撃センスで数々の栄冠をもたらすことになった。
ファーガソンは決して才能ある選手を嫌っていたわけではない。それどころか、こよなく愛した。彼らを甘やかし、特別扱いすることを毛嫌いしただけである。
カントナはストイックな選手だ。練習には真摯に取り組み、節制も怠らない。ファーガソンに言わせれば「プロの鑑」で、全幅の信頼を寄せるに値する男だった。
反面、トラブルの絶えない選手でもあった。相手を殴り、審判にシャツを投げつけ、ファンに飛び蹴りを食らわせる。それでも監督が見捨てることはなかった。
「怒りを覚えることは問題じゃない。正当な理由があるのなら感情を抑えず、表に出すべきだ」
ファーガソン自身がキレやすい人だった。とにかく曲がったことが大嫌い。筋が通らぬと思えば、顔を真っ赤にして怒り狂った。いや、ボスだけではない。怒れる男は、ピッチにもいた。カントナの跡目を継ぎキャプテンを担った闘将キーンだ。
「最高のフットボーラーではないかもしれない。だが、私にとっては、彼こそ最高の選手だった」
ボスの口ぐせだ。ケンカっ早いものの、とことん走り、とことん闘う。それこそ怒りを力に変えるボスの分身だった。
天才と闘将、創造者と労働者。まるでタイプの異なる2人だが、ボスの流儀を等しく体現する1枚のコインの裏表だった。
カントナが在籍した5年間で、リーグ優勝4回。FAカップとのダブル(2冠)も二度達成する。こうして名実ともにイングランド最強クラブの座へ返り咲いた。
だが、ひとつだけ、立つことのできなかった高みがある。チャンピオンズリーグ(CL)のタイトルだ。カントナをもってしても4強止まり。ただ、挑戦を繰り返すなかで、確実に若い力が育ちつつあった。
ファギーズ・フレジリングス
これという逸材を探し、鍛え、超一流のタレントに磨き上げる。ファーガソンは人材育成の手腕も卓越していた。
まだ右も左も分からぬ若者たちにチームスピリットを植えつけ、ハードワークを叩き込んでいく。そこからベッカム、スコールズ、ギグス、G・ネビルらが一本立ちして、チームの核となった。
俗に言う『ファギーズ・フレジリングス』(ファーガソンのひな鳥)だ。ギグスのドリブル突破は鋭く、ベッカムの右足は精密機械のようで、スコールズの動きは神出鬼没だった。いずれもその道を究めたスペシャリスト。と同時に、不屈の戦士でもあった。
決して手を抜かない。抜けば、どうなるか。親父の顔色をうかがうまでもなかった。
ファーガソンは、貧しい労働者階級の出身。苦労しながら大人になった。サッカー選手だろうが、才能を鼻にかけ、特権をむさぼるような連中を許さない。
学生時代に「労働者の革命」を夢見たほどだ。例外はない、誰もが(攻守に)等しく働く。それが不変の掟であり、ユナイテッドの強みでもあった。
ひと口にハードワークと言っても、彼らのそれはレベルが違っていた。最後まで敵に走り負けず、球際の争いでも決して譲らない。プレーの強度も頭抜けていた。
若い力を追い風に、徹頭徹尾、休みのないサッカーを展開していく。やがて相手は、ハイテンポな攻守にのみ込まれていった。斬新な戦術とは無縁。システムもイングランド伝統の4-4-2フラットを貫いたが、それで困ることなど何もなかった。
理屈っぽい駆け引きも、つまらぬ小細工もしない。いつでもどこでも真っ向勝負。その戦いぶりは絵に描いたような正攻法だが、あらゆる相手を苦しめ困ぱいさせるダイナミズムに満ちていた。
強く、激しく、たくましく。そんな若きユナイテッドに黄金期のハイライトがやって来る。フランス・ワールドカップ直後に開幕した1998-1999シーズン、ついにヨーロッパの覇権も握り、歴史的なトレブル(3冠)を成し遂げることになった。