1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第15回は藤和不動産に加入した助っ人、セルジオ越後について綴る。

半世紀前に日本で披露していたエラシコ

画像: 1972年10月14日、JSLデビュー戦に臨んだセルジオ越後(写真◎サッカーマガジン)

1972年10月14日、JSLデビュー戦に臨んだセルジオ越後(写真◎サッカーマガジン)

 越後が見せたテクニックの一つが、70年代にブラジル代表の主力だったリベリーノが駆使し、のちには同じくブラジル代表やバルセロナなどで活躍したロナウジーニョが得意とした「エラシコ」だった。日本語に訳するなら「ゴムのフェイント」だ。

 足のアウトサイドでボールを押し出し、瞬時にインサイドで抱え込むように方向を変える。その前にも別のフェイントが入ったりするから、逆方向へボールが出たように見えたのだろう。テクニックというよりはマジックだった。

 とはいえ、1人の選手がボールを巧みに操ってもチームが勝てるわけではなく、この試合では杉山隆一を筆頭に、レギュラークラスのほとんどが日本代表経験者だった三菱に1-4で完敗している。しかし結果はどうあれ、初めてJSLに登場したワールドクラスのテクニックは強烈な印象を残した。

 当時のサッカーマガジンはすぐに越後のプレーの特集を組み、連続写真に岡野俊一郎氏の解説をつけて、そのフェイントを掲載した。あらためて見直すと、そのうちの一つはやはり「エラシコ」に間違いなく、70年代初めに日本でも紹介されていたのだ。

 ただしそれから30年ほど経って、ロナウジーニョのテクニックとして若い選手がマネし始めるまで、このフェイントを使う日本人選手を見ることはなかった。

著者プロフィール/くによし・よしひろ◎1954年11月2日生まれ、東京出身。1983年からサッカーマガジン編集部に所属し、サッカー取材歴は37年に及ぶ。現在はフリーランスとして活躍中。日本サッカー殿堂の選考委員も務める


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