1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第12回は、2冠を達成した「走る日立」について綴る。

オシム千葉の40年前に考えて走った

画像: 1972年12月24日、天皇杯準々決勝 、日立対藤和(4-0/西が丘)。写真中央が日立の松永章(写真◎サッカーマガジン)

1972年12月24日、天皇杯準々決勝 、日立対藤和(4-0/西が丘)。写真中央が日立の松永章(写真◎サッカーマガジン)

 高橋監督はチームの立て直しにあたって、その方針と選手への要求を以下のように振り返った。

「1年目は自分のチームとよそのチーム状況を知ることに終始。その中から、まず走らなければ、とても技術的な差はカバーできないと考えた。2年目はバカに思えてもいい、ただ遮二無二走れ。3年目は正確なパスを要求して『ボールも走らせよ』。そして4年目は効率の良さを目指して『頭を使って走れ』と求めた」

「まず走れ」「頭を使って走れ」といった言葉を、どこかで聞いたと感じる人は多いのではないだろうか。40年後にJリーグでジェフユナイテッド市原(現・千葉)の監督に就任し、やはり下位にくすぶっていたチームを優勝争いに加わるまでにした、イビチャ・オシムのそれと酷似しているのだ。飛び抜けたスタープレーヤーはおらず、身体的、フィジカル能力にも秀でていないチームだったところも同様だった。

 高橋監督は、日本中から称賛を浴びたオシムのチーム再建を、この時代にやってのけた。しかもリーグ、カップの2冠を手にしている。

 当時のサッカーマガジン(1973年1月号)に、毎日新聞の荒井義行記者が日立の優勝を分析して、以下のような文章を残している。

「今シーズンの日立の強さとか、長所と言われたものを列挙してみよう。よく走る。攻守の切り替えが早い。ボールを持たないプレーヤーがよく動く。FWの守備、BK(バック=DF)の攻撃参加。出足が良い…など」

 ハードワーク(よく走る)、攻守の切り替えの早さ、オフ・ザ・ボールの動き、全員守備・全員攻撃、素早いボールへの寄せ――。表現は変わっても、現在のサッカーで強調される点ばかりだ。

 さらに荒井氏は、この後に「サッカーの教科書を開けば必ず書いてある、基本的なことばかりだ」と綴っている。一つひとつの要素のスピード感や精度は大きく進化しているが、やはり原則は変わらないということだろう。

著者プロフィール/くによし・よしひろ◎1954年11月2日生まれ、東京出身。1983年からサッカーマガジン編集部に所属し、サッカー取材歴は37年に及ぶ。現在はフリーランスとして活躍中。日本サッカー殿堂の選考委員も務める


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