連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人、試合を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、2005-08のASローマだ。革新的なスタイルを採用し、2000年代中期にカルチョを席巻したクラブについて綴る。

前後反転のタンデム

画像: 写真中央がペロッタ。推進力を武器に存在感を示した(写真◎Getty Images)

写真中央がペロッタ。推進力を武器に存在感を示した(写真◎Getty Images)

 ラストパスをめぐる、出し手と受け手の位置関係をひっくり返したら、どうなるか。

 スパレッティの逆転の発想は、トップ下をめぐる人選にも色濃く表れていた。無論、求める人材は司令塔なんかではない。
 1トップを追い越して、ラストパスの受け手に回る。走力を使ってゴール前に飛び出す「かりそめのストライカー」だ。

 そこで、白羽の矢を立てたのがシモーネ・ペロッタ。本来は相手のトップ下に噛みつく「潰し屋」のボランチである。

 一般的なトップ下の像からは、ほど遠いタイプだろう。しかし、スパレッティはペロッタの攻守にわたる縦への推進力に目をつけ、トッティと縦に並ぶ異色のタンデムを実現させた。

 歴史を掘り起こせば、この2人と似たようなペアを発見できる。1970年代にオランダ代表、または強豪アヤックス(オランダ)などで実質的にタンデムを組んだ「2人のヨハン」が、そうだ。

 クライフとニースケンスの2人である。彼らもまた、前後関係が入れ代わる「弓と矢」だった。
 クライフが引き、ニースケンスが出る。1974年の西ドイツ・ワールドカップにおいては、そうした場面の連続だった。

 ニースケンスもペロッタ同様、器用でもなければ、テクニシャンでもない。凄まじい推進力を誇る生粋のファイターだ。
 前方のクライフを後ろからガンガン追い越し、敵のゴールを急襲する。破格のダイナミズムをもって、相手ディフェンス陣をカオスへ巻き込んでいった。ともあれ、ペロッタを「ローマのニースケンス」へと仕立て上げたスパレッティの慧眼が、斬新なゼロトップの効力を高めることになった。

 固定観念に縛られた指導者にはなかなか思いつかない「人事」だろう。ある意味では、トッティを1トップに据える以上の「ひらめき」かもしれない。

 余談ながら、現在、再びローマで采配をふるうスパレッティは、「第2のペロッタ」を生み出している。ラジャ・ナインゴランだ。本職のボランチからポジションを1つ上げて大暴れ。優れた得点力を見せつけている最中だ。

 それも、格好のロールモデルをつくり上げた実績の成せる業か。始まりは、ペロッタだった。


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