上写真=準々決勝のアメリカ戦はPK戦の末に敗れ、日本は4強に進めなかった(写真◎BBM)
どうして本山を起用しなかったのか!
いまさら指摘するまでもないけれど、監督という商売はまったく難儀なもので、「勝てば官軍、負ければ賊軍」だ。もしかしたらいまの時代では「勝っても賊軍」かもしれない。一挙手一投足が多くの人に注目され、あらゆる切り口で評論され、拡散される。
監督の手腕は、サッカーという側面に限って言えば、選手起用や交代策に分かりやすく表れる。そのセンスというか感覚はどう鍛えるのだろうか。選手と同じように、監督もトレーニングが必要だろう。一方で、これも選手と同じように、天才肌の感性に導かれるように決断する監督もいるかもしれない。
では、フィリップ・トルシエは、前者だっただろうか、後者だっただろうか。
たぶん、後者だと思う。どうしてトルシエ監督を引き合いに出すかと言うと、(もちろん選手起用が大当たりしたケースもあるけれど)そのエキセントリックにも見える選手起用が重大な場面で機能不全を起こした事象がいまでも忘れられないからだ。最たるものが、2002年ワールドカップ、決勝トーナメント1回戦のトルコ戦である。
2勝1分けのグループステージで2トップを務めたのは柳沢敦と鈴木隆行。それをこのトルコ戦で突然、西澤明訓を最前線に据えてそのやや後ろで三都主アレサンドロを組ませたのだ。2トップまるごとお取り替え、である。
この奇策が大きく影響したために、0-1の敗戦は他の負けよりもわだかまりを残したままになった。2019年のいまでも、消化できないぐらいに――。
そのとき、思い出したのがその2年前の出来事だった。2000年9月23日、シドニー五輪の準々決勝でアメリカと対決し、2-2のままもつれ込んだPK戦で敗れたあのゲーム(PK4-5)。選手起用で疑義を残したという点で、02年のトルコ戦の「前例」になるからだ。
当時のサッカーマガジンでは、年の瀬に1年間のビッグマッチを振り返る企画があった。私はこのアメリカ戦を取り上げた。誰もが待ち望んだ勝利への切り札をどうして投入しなかったのか。その不可思議さの背景を少しでも知りたかった。
切り札とは、本山雅志だ。かなり長いが、当時の記事をもう一度、掲載してみる。
人間の領域
(以下、サッカーマガジン2001年1月3日号より抜粋)
出てきてくれ!
日本中のサッカーファンが、同じことを考えている瞬間があった。
2000年9月3日。アデレードのハインドマーシュ・スタジアム。日本オリンピック代表はシドニー・オリンピックの準々決勝で、米国オリンピック代表に苦しめられていた。
すべての人が、頭のなかで細身の選手の姿を思い浮かべていた。背番号は14。目の覚めるようなドリブルで苦境を一気に好転させてきた甘い記憶。米国のマッスルゲームに押し込まれ、肩で息をしている11人を救うために、出てきてくれ、本山――。
だが、その姿がフィールドに現れることはなかった。
2-2のままPK戦にもつれ込み、4人目となる中田英が右足のシュートを左ポストに当てて、日本は敗れた。準々決勝。世界の常識では、タイトルレースはグループリーグを終えたここからが本当のスタートである。
しかし、負けた。
そのとき、日本のファンが、ある者は心のなかで、ある者は悲痛な叫び声で呼んでいた本山は、何を考えていたのか。
「切り札」の予感
4+4。ディフェンスラインとミッドフィールドで4人ずつの2枚の壁を築いたアメリカは、キックオフからパワーサッカーで挑んできた。右のオルブライト、左のオルセンのサイドMFが縦に押し込むスピードと、最終ラインから簡単に放り込むロングボール。フラット3に構造的な弱点を持つと判断したアメリカが、日本を徹底的に分析してきた象徴だった。
中村の蹴った右サイドからのFKが壁に当たり、こぼれたところを再び中村が右足でファーサイドへ送る。高原のジャンプに釣られた相手DFの裏で柳沢が跳んで、ヘッドでボールを地面にたたきつける。30分、日本先制。
アメリカのチャールズ監督がハーフタイムに技巧派MFドノバンを入れてきたのも、日本を研究したあかしだった。3トップ気味にして最終ラインを押し戻し、バランスを壊す作戦。それがボディーブローのように効き始める。
CKのこぼれ球から森岡のクリアが短くなり、抜け目なくウルフが放ったシュートが酒井の足に当たって微妙にコースが変わった。68分、アメリカ同点。
「きょうは、出るチャンスがありそうだな」。本山がウオーミングアップを始めたのは、ちょうどこの後だった。
すでにこのときに、本山の頭のなかにはイメージが出来上がっていた。
「ヒデさん (中田英) もシュン君 (中村)もいるから、スルーパスやロングパスで裏を狙う動きが効果的だ」。そのイメージを形にするために、体を動かし続けた。
すぐに、勝利の感触が体をくすぐり始めた。1-1にされてからわずか4分後、中村が左からピンポイントのクロスを送ると、高原がヘッド。一度はGKフリーデルに防がれながら、高原は瞬発力を生かして左足でたたき込んだ。勝利への大きな一歩である。
本山は「これできょうは勝つんだろうな」と思った。残り18分。「出るならば、そろそろかな。逃げ切るためにはフレッシュな選手を入れて、時間を稼ぐためにキープする可能性がある」と出場への欲求を具体的なイメージに結びつける。
「みんな疲れている。僕がしっかりアップをしておかなきゃ」。ここまでわずか36分しかピッチに立っていない悔しさも、この試合の勝利のためにささげよう。高まる出場の予感に合わせて、ダッシュを繰り返す。そのたびに、体中に新鮮な血がめぐる。
だが、そんな予感が最高潮にあったのは、ほんの短い時間だけだった。終了直前、バジェナスにPKを決められて再び追いつかれる。「1点を取るために、僕か平瀬さんが出るだろう」の気持ちは強まったが、延長戦が始まる前にトルシエ監督は本山を呼び寄せなかった。「ここで出ないなら、もうない」。大きくふくらんだ風船は、小さくなった。
「何かやってやろう、という気持ちでいつもアップしていますよ。アメリカはライン・ディフェンスなので、ギャップを突けばいけるんじゃないか、と思っていましたし。でも、PKは運だから」
自分が何もできないままに、敗退のよどんだ空気のなかに身を委ねなければならないのは、どんな気持ちだろう。自分を出してほしかった。そう考えはしないのか。
「監督があのままでいけるという判断をしたからだし、試合に負けたわけじゃないですから、間違ってはいないと思います」
こうして、日本のシドニー・オリンピックへの挑戦――それは68年メキシコ・オリンピックの銅メダルという古く美しい思い出への挑戦でもある――は終わった。
消えた本山の場所
(中略)
大会直前の壮行試合で、日本はクウェートとモロッコを相手に快勝した。中田英を1・5列目に据え、中村を左アウトサイドではなく本来のセンターで起用する、新しく力強いシステムがこの上なく機能したのだ。
ノーマルな2トップに、1トップ+中田英&中村。32年ぶりのメダルへの期待は、攻撃のオプションが増えたことで急激にふくらんだ。
アメリカ戦を迎えるにあたって、1トップを支持する声は多かった。2トップの一角を占める柳沢には分が悪かった。パートナーの高原が2得点と絶好調。さらに、中田英を1・5列目でプレーさせて脳裏に焼きついた、猛々しく美しい攻撃への恋心がよみがえるからだ。何よりも柳沢の調子が良くない。柳沢をベンチで待たせてスタートすべきだ。
実際は2トップでスタートした。柳沢が待望の初ゴールを挙げた。ただ、ポストプレーで下がり過ぎの傾向があった。疲労からプレッシャーの少ないエリアで自由にプレーしようとしても不思議ではなかった。だが、トルシエ・サッカーの攻撃の命綱を握る柳沢が下がってくれば、攻撃のポイントすべてが下がることになる。
だから、柳沢に代えて平瀬を投入したらどうなったか。中村のオープンスペースへのパスと平瀬の裏への飛び出しは相性がいい。中村を左アウトサイドに置いたままで、しかも米国のタフなアタックにポジションを下げられたなら、その位置からの裏に抜ける平瀬へのパスで相手を押し返すルートができる。
結局、65分に柳沢に代わって入ったのは三浦だった。中村が中へ、中田英が1・5列目へ。ファン待望の1トップである。
このシステムで生きるのは、中央のポジションを熱愛する中村だけではない。スペースへの速いパス、スペースへの飛び出し、その両方を得意とする中田英である。
中田英がトップ・コンディションにないことは、だれの目にも明らかだった。80パーセントしか出せない力を100パーセントに近づける方法がないわけではない。それが、1・5列目へのコンバートだった。
前線に速い選手がいれば、速いパスが生きる。絶好のパスを出すパートナーがいれば、自分で飛び出してゴールを狙うことができる。1トップで自由に動けるようになった高原、自慢の左足がうずいていた中村。 受け手と出し手に恵まれ、生き返る条件は揃ったわけだ。
しかし、このときもう一つの大きな可能性を同時に消していた。本山で勝負をかける選択肢である。
オリンピックに入ってから、本山は左アウトサイドではなく1・5列目で、試合を終える役割が与えられていた。ただし、1点リードの状況で高原?中田英―中村のラインを崩すことは、トルシエ監督が強調する全体のバランスを失うことを意味する。ならば、1・5列目はなくなる。左アウトサイドには三浦が入ったばかりだ。
本山が入る場所が消えた。
「プッシュアップ!」
72分に2-1になったところで、ディフェンス・ラインに向けて飛んだベンチからの指示は「プッシュアップ!」だった。
稲本の言うように「勝利への執念が足りない」のも事実。だが、三浦の「みんなで一度引いて守備の意識を高めて立て直さなければ」という方が現実的だった。それは、右ウイングバックの酒井を最終ラインに組み込むことで、際どい安定を維持していたからだ。
プッシュアップはトルシエ・サッカーのディフェンス面での義務である。戦術的に間違いはない。しかし2-1での残り8分とロスタイム。本当の勝負をかけるこの時間帯で、優先されるのは義務的理想なのか、それとも選手が肌で感じている現実なのか。
選手は一度下がって落ち着かせようとした。ベンチからは再三「ブッシュアップ!」の声が飛ぶ。
これが、このチームの限界だった。
経験がない。確かにその通りだった。押し込まれて「きつい」と感じていた選手は、ラインを下げてもいいかどうかベンチに確認している。そんなことをしなくても、リードを守るための戦い方を練習のなかでできていたら。激しい怒りをもって、守る意識を徹底させるリーダーがいたのなら。経験がないのなら、「仮想経験」を与える方法もある。選手はだれもリーダーになり切れなかった。
手に入れたもの。欠けているもの。そのどちらもが、澄み切った冬の空に輝く月のように、ぽっかりとアデレードの夜に浮かんだ。
その二つの力関係が、ほんのわずかだけ欠けている方に揺れた。微妙なバランスを決定するのは、果たして「神の領域」なのか。
培ってきたものを表現した反面、最良の判断だと決意して切ったカードが最高の結果を生まなかった。それは間違いなく、「人間の領域」である。
文◎平澤大輔(元週刊サッカーマガジン編集長) 写真◎BBM