上写真=2015年、高校2年のときの安部。背番号は19だった(写真◎石倉利英)
「試合に使わないこともあった」
東京のS.T.FCから2014年に瀬戸内高に進んだ安部は、3年時に地元・広島でのインターハイで3得点を挙げるなどベスト8進出に貢献する活躍を見せ、大会優秀選手に選出されたことが、鹿島加入につながっている。だが2年時までは、ある課題が指摘されていた。当時瀬戸内高監督だった安藤正晴氏(今年度から同校校長。元フットサル日本代表)は昨年12月のWEBサッカーマガジンの記事内で、次のように振り返っている。
「2年生の初めごろまでは、相手の人数がそろっているのにドリブルで突っ込んでいったり、相手を背負った状態から無理に仕掛けて、ボールを奪われたりしていた。強引なプレーが失点につながることもあったので、厳しく言ったり、試合に使わなかったこともあります」
だが、その後の変化が鹿島入りへの道を切り開くことになる。
「周囲の声を聞く耳も持っていました。ドリブルが好きで、ボールを離さない選手でしたが、2年生になって相手にマークされ始めた頃から、強引にいくところと、簡単にパスをするところの判断ができるようになった」(安藤氏)
状況に応じて的確な判断ができるようになったことで、入学当初から評価されていた切れ味鋭いドリブルが、より効果を発揮するようになった。鹿島入り後のプレーを見れば、このときの変化がベースとなっていることが分かる。
もっとも、高校3年時のプレーは光るものがあったとはいえ、加入1年目から鹿島で出場機会をつかみ、年代別代表からA代表へとステップアップして、バルサ入りするまでの近未来を想像させるほどではなかった。筆者の見る目のなさはともかく、安藤氏も昨年12月の時点でプロ入り後の活躍を「全く想像していませんでした。いまでも信じられない」と語っており、当時を知る者としては少なからず『化けた』のは間違いない。
2016年9月23日の鹿島加入会見で、瀬戸内高の制服の上から鹿島のユニフォームを着た安部は「小さい頃からサッカー選手になりたいと思っていて、夢が実現して安心しています。得点に絡むことができるのが自分の持ち味。結果にこだわっていきたい」と抱負を述べていた。それから3年もたたないうちにバルサの一員になるという、アニメや漫画の世界のようなサクセスストーリーは今後、どのようなシナリオで進んでいくのだろうか。
文・写真◎石倉利英