上写真=初戦の南アフリカ戦、相馬勇紀は60分から途中出場した(写真◎JMPA毛受亮介)
文◎川端暁彦 写真◎JMPA毛受亮介
経験の少ない選手たちの自信になった試合
メキシコサッカーと日本サッカーの縁は深い。相思相愛と言ってもいいかもしれない。よく戦い、よく競い、よく分かり合ってきた。
正確な統計があるわけではないが、メキシコは近年の日本で行なわれる国際ユース大会に最もよく来ている代表チームではないだろうか。元より選手育成のためには国際経験が大事という思想を持って積極的に海外遠征をしているということもあるし、日本に行くことでの教育的な効果も重視していると言う。
特にお馴染みなのは毎年7月に開催されている国際ユースIN新潟。この10年ちょっとに関しては「メキシコが来なかった年」を探すほうが難しいくらいに、この大会への参加を大事にしてくれている。日本で味わう高温高湿度の酷暑にはカルチャーショックすら受けるというが、その暑さにビックリしていたら、対戦相手の日本の選手が献身的に走っているのを見てさらに驚くのだそうで、これが選手育成にとって良いのだとか。
現在の東京五輪世代が「U-17」だった2014年にもメキシコは国際ユースIN新潟に参加。DF冨安健洋と町田浩樹がCBコンビを組んでいた日本とは2-2のドローに終わっている。
また日本も世界各地で行なわれる国際ユース大会へ積極的に参戦してきたので、そこで同様に武者修行へ来たメキシコと“出会う”ことも多い。2012年、「U-16」だった時代には4月のチッタディグラディスカ国際大会(スロベニア)の準決勝で対戦し、1-0で勝利。メンバーには町田がいた。8月には日本で行なわれた豊田国際ユース大会でも対戦し、0-2で苦杯。ここでもまたも町田が先発し、中山雄太が交代で出場している。
FIFA主催の世界大会でもお馴染みの相手で、記憶に新しいところではGK鈴木彩艶が出場した2019年のU-17ワールドカップのラウンド16で対戦し、日本は苦杯をなめた。最も新しいのは昨年1月、実質的に年代別日本代表最後の海外遠征となった、コパ・デル・アトランティコ(スペイン)。ここでも、やっぱりメキシコと遭遇し、対戦している(1-0で勝利)。
2017年12月に東京五輪代表が立ち上がってからも、2度の対戦を経験している。2019年6月12日に行なわれたトゥーロン国際ユース大会がその1回目。当時五輪世代の「主力」はコパ・アメリカに参加しており、こちらに回ったのはサブ組と目される選手たち。だが、もともと常連選手だったMF三笘薫、FW旗手怜央だけでなく、MF田中碧、相馬勇紀がそれぞれ地力と可能性を示し、評価を覆す切っ掛けをつかむことになった大会である。その象徴とも言える試合が、準決勝のメキシコ戦だった。
相馬が「得点を決めたチームでもあるし、苦手意識も全然ない」と胸を張って振り返ったように、この強敵に2-2からのPK戦で競り勝った経験値は、国際大会での実績のなかった選手たちにとって大きな財産となった(ちなみに、旗手は相手がどういうチームだったのか「まったく覚えていない」とのことだが……)。
同年9月にはメキシコ遠征も敢行してアウェーでも対戦している。このときも常連選手は招集せずに新しい可能性を探る形だったが、GK大迫敬介、DF町田(またしても町田!)、橋岡大樹、MF田中碧、FW上田綺世がメキシコと肌を合わせる経験をしている。結果は0-0のドローだった。
そんなわけで、年代別日本代表でキャリアを重ねていると、「メキシコと対戦する」というのはどこかしらで経験していると言ってもいいほど「よく当たっている」相手である。昨年秋にはこの世代の選手を多数含む編成のA代表同士が対戦してもいるわけで、東京五輪に参加した選手たちにとってメキシコはお馴染みの相手と言える。そしてこれは、相手にとっても同じこと。
チームとして手の内を知り合っているというか、肌感覚として「こういう感じ」という経験値を蓄積し合っているチーム同士の対戦という点で、初戦とは違った意味の難しさを体感するゲームになることだろう。
著者プロフィール◎かわばた・あきひこ/2002年から育成年代を中心とした取材活動を始め、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画、のちに編集長を務めた。2013年8月をもって野に下る。著書『2050年W杯優勝プラン』(ソルメディア)ほか