日本代表の10月シリーズではフィールドプレーヤーとして唯一、体調不良もあって出場機会を得られなかった。それでも初招集は大きな体験となった。大宮、ポーランド、ドイツ、そして日本代表。彼の歩みは多くの選手の道標になるーー。

上写真=出場機会はなかったが、代表初招集は奥抜にとって大きな経験となったはずだ(写真◎JMPA毛受亮介)

J1を経由せず欧州行きを決断

 サッカー日本代表の10月シリーズは、カナダ代表に4-1、チュニジア代表に2-0と2連勝で幕を閉じた。

 今回の連戦は11月に始まる北中米ワールドカップのアジア2次予選や来年1月のAFCアジアカップに向けたテスト色の強い2試合となり、多くの選手がチャンスを得た。その中で最後までチームに帯同しながら唯一出番のなかったフィールドプレーヤーが、奥抜侃志である。

 ドイツ2部のニュルンベルクに所属する奥抜は、体調不良により招集を辞退した三笘薫に代わってメンバー入り。嬉しい日本代表初招集となった。

 予兆はあった。森保一監督が9月シリーズを終えた後の欧州視察でニュルンベルクの試合を観戦していたのである。帰国時の取材では奥抜について「昨シーズン、ポーランドのグールニク・ザブジェにいた時にも映像では確認していますし、東京五輪世代の選手なので大宮アルディージャ時代から見ていました」と、以前から注目していた選手であることを明かしていた。

 ただ、奥抜はキャリア最大とも言えるチャンスを目の前にして不運に見舞われた。ドイツから帰国した直後に体調を崩して静養を強いられ、新潟でのカナダ代表戦に帯同できず。15日に神戸でチームに合流したものの、2日間では万全なコンディションを取り戻すことができなかった。

 三笘がいない、前田大然も負傷により招集を辞退している。「左ウイング不足」が選手起用における重要な焦点の1つとなった10月シリーズは奥抜にとって絶好の機会だったが、日本代表デビューはお預けとなった。

 それでも「すごく貴重な経験ができました。自分の今いるステージと日本代表のステージを比較することができたと感じています」と、充実の表情でドイツへの帰途に着いた。

「(代表選手たちの)パスやコントロールの精度はすごいと思いましたけど、自分がやれていない訳ではなかった」

 確かな手応えがある。森保監督も奥抜の「左サイドで起点になって、そこから縦に仕掛ける、中に切り込む、シュート、ゴールに向かってプレーするところ」を高く評価していた。コンディションさえ万全であれば、どこかで出番が巡ってきていたはずだ。

 では、奥抜はいかにして日本代表の舞台までたどり着いたのだろうか。そもそも日本国内でプロとしてJ2でしかプレー経験のない選手がA代表入りを果たすこと自体が異例である。

 転機となったのは2022年夏の欧州移籍だ。大宮アルディージャからポーランド1部のグールニク・ザブジェに期限付き移籍し、欧州1年目からリーグ戦26試合出場4得点という成績を残した。J1ではなくあえて欧州を選んだのにも、奥抜なりの考えがあった。

「何度かオファーもいただいていたので、J1に行ける可能性もありました。でも、一度J1を経由してしまったら欧州に行くのがすごく遠くなってしまうと思っていたので、大宮から出ることを選びました。ポーランドでプレーして『欧州のマーケットに入らないと』とも思っていましたね。そこでドリブルの成功率ランキングの上位にいたことが評価されて、ドイツに移籍できたんだと思います」

 大宮のアカデミーで育った奥抜は、2018年にトップチームへ昇格。プロ2年目の2019年から継続的に出場機会を得て、ポーランドへ移籍するまでの4年半でJ2通算91試合出場14得点という成績を残している。これだけの実績があれば、J1のクラブから声がかかって当然だろう。

 だが、2022年夏の段階ですでに23歳。仮にJ1クラブへ移籍しても自分の立場を築くのには年単位で時間がかかる可能性もあり、そこから欧州移籍を目指すとなると「若手」としての価値がなくなってしまう。欧州のマーケットに乗るのが遅くなりすぎると、さらなるキャリアアップは極めて困難だ。

 だからこそ、奥抜はあえて「J1を飛ばす」というリスクを背負って欧州に打って出た。ポーランドでマーケットの流れに乗れれば、より高いレベルの環境へのステップアップも十分に狙えると判断したのである。

 そこには望んでいたチャンスがあった。「ポーランドでの1年間は、すごく学びがあった」と奥抜は明かす。成長を大きく後押ししたのは、「ゴールを決めると毎回電話をしてきて、節目節目に連絡をくれるお父さんみたいな存在」というルーカス・ポドルスキだった。

 かつてヴィッセル神戸でもプレーした元ドイツ代表FWとグールニク・ザブジェでチームメイトになったのである。当時37歳の大ベテランは、日本人である奥抜のことを常に気にかけて、事あるごとに助言を授けてくれた。

「(ポーランドに移籍して)最初の頃はプレーに波があったので、よくポドルスキから『自分を強く持て』と言われていました。彼はどんな試合でも自分を出す。そういうメンタリティの部分をすごく鍛えられました。すごく気にかけて、『もっともっと仕掛けろ』と期待してくれていましたね。行ってすぐ馴染めたのもポドルスキーのおかげです」

 歳を重ねてかつてのような圧倒的なパワーやスピードは失われているが、昨シーズンのポドルスキはポーランド1部リーグで29試合に出場し6得点10アシストを記録。総出場時間やゴールやアシストの数字は奥抜に勝っていた。

 そんな中で23歳の日本人アタッカーは、どのように「自分」を表現するか試行錯誤を重ねた。「どちらかというとカットインの方が得意だったんですけど、今は縦で自分のスピードを活かした方がいい」と、もともと得意としていたドリブルにも変化をつけ、プレースタイルを “欧州仕様”に適応させながらバージョンアップすることに成功したのだった。

「最初カットインしようとしていましたけど、(欧州は)ピッチ状態があまり良くないので。踏み込んでカットインというのはあまりできないと感じた時に、『自分のスピードを活かしてみよう』とチャレンジしていたら武器になったんです」

 ドリブルのバリエーションが増えたことで相手ディフェンスは狙いを絞りづらくなり、突破の成功率が向上。1シーズンでの成長ぶりに目をつけたニュルンベルクが、この夏に大宮から奥抜の保有権を買い取った。

 そして、物語は日本代表へとつながっていく。奥抜が歩んできた道のりは、これから後に続く選手たちに大きな夢とモチベーションを与えるだろう。J2からでも欧州に行ける、成長すれば欧州5大リーグに近づける、どんな環境にいても自分の頑張りしだいで日本代表につながっていくんだ、と。

 チュニジア代表戦前日に、奥抜は自らが育ったクラブへの想いとそこからの欧州移籍が持つ意味について次のように話していた。

「J1(移籍)の可能性もある中で、そこに行くよりも大宮から海外に行くことを意識して、自分の目標にしてきました。アカデミー育ちとして、巣立ってくる選手たちにいい背中を見せられたらなと思います」

 では、その先は? 例えば、現在ポーランド1部リーグでは3人の日本人選手がプレーしている。奥抜の古巣グールニク・ザブジェの横田大祐、クラコヴィアの大島拓登、そしてスタル・ミェレツの檜尾昂樹はいずれもJリーグでのプレー経験はないが、それぞれの所属クラブで主力になっている。20代前半で伸び盛りの彼らにも、日本代表入りへの道が見えたはずだ。

 チュニジア代表戦後、奥抜に自らの日本代表入りが持つ意味を改めて問うと、彼はこう答えてくれた。

「ダイ(横田)とは今もよく連絡を取っていて、代表に入った時も連絡をくれました。(ポーランドでプレーする日本人選手たちは)みんな向上心がすごく強いので、僕が先に日本代表の舞台に入れて、背中を見せられたかなと思います」

 より多くの選手たちが「自分にも日本代表になれるチャンスがある」「日本代表という夢を見られる」と感じられると、必然的に日本サッカーの裾野が広がっていく。日本代表を現実的な目標として捉えられるようになれば、それぞれの日々の取り組みも変わっていくだろう。ゆくゆくはそうした小さな積み重ねが日本代表の底上げにつながるはずだ。

 J2から世界へ。目標のためにリスクを冒し、変化を恐れず、正しい助言をくれる人間と出会い、まっすぐに努力を重ねてきた。今度こそ「大宮アカデミー出身で初の日本代表選手」としてピッチに立ち、これまでの努力の成果を示してもらいたい。

 日本代表を目指すたくさんの人々の夢が、奥抜の「背中」を追いかけてくる。

取材・文◎舩木渉


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