上写真=香港戦で代表デビューを飾った岩崎悠人(写真◎JMPA小山真司)
10番を背負う機会はそうない。楽しみたい
「苦しい時期も自分のやるべきことをやってきてよかった」
アンダー世代では代表の常連だった岩崎だが、東京五輪では選出されず、悔しさを味わった。その理由の一つとして、所属クラブで出番を勝ち取れなかったことが挙げられるだろう。
京都に加入した2017シーズンは35試合に出場。2年目も33試合出場と活躍したが、札幌の移籍した19年からキャリアが暗転した。同年はわずか8試合に出場に留まり、そのすべてが途中出場だった。翌20年には湘南に移り、16試合(先発7試合)に出場、21年には千葉で16試合(先発7試合)でピッチに立った。だがいずれもゴールはなく、満足いく結果を残せなかった。
そして昨季途中から鳥栖でプレーし始めた。シーズン途中の加入だったこともあり、出場数は13試合(先発5試合)と多くはなかったが、J1初ゴールを飾り、復調の兆しを見せ始めていた。迎えた2022シーズン。岩崎はここまで20試合に先発し、1得点1アシストの成績を残す。左ウイングバックとして攻守に働きながら、サイドから仕掛ける回数も増え、相手の脅威となる『怖さ』が戻りつつある印象だ。
今回の代表招集は、リーグ戦で負傷した武藤嘉紀が辞退したことで巡ってきたチャンスで、本人は「びっくりしたというのが一番大きい」と、追加招集の知らせが届いたときのことを振り返る。19日の香港戦では、64分から西村拓真に代わって出場。早速代表デビューを果たし、「すごく緊張しましたが、試合に出られたことはすごくうれしく思います」と大きな一歩を目を刻んだ喜びを口にした。
むろん、それは第一歩であって、アンダー代表でともに戦っていた冨安健洋、板倉滉、中山雄太、堂安律、久保建英らA代表の常連たちに追いつくべく、大きな歩幅で二歩目三歩目を刻めるように努力するつもりでいる。急きょの招集で今回は武藤に代わって背番号10を背負う。
「知ったときは、なんかすごい嫌やって正直思っちゃったんすけど、でもこんな機会なかなかないですし、本当に一生にあるかないかっていうところで、こういう状況、環境を楽しみたいなと思っています」
岩崎悠人は今、また新しいフェーズを迎えている。かつての代表仲間に後れを取った分は、E-1選手権という舞台から取り返していく。