2022年にガイナーレ鳥取でDFとしてプレーした小林陸玖(こばやし・りく)さんが、セカンドキャリアで裏方としてサッカーに携わっている。23年限りで現役を引退したのち、今年から各カテゴリーのサッカー大会を企画・運営する会社に勤務。苦しいことが多かったJリーガーとしての経験を糧に、新たなステージで社会人としての成長を期している。

「サッカーをプレーするのが好き」

 1年間のプロ生活を経て、セカンドキャリアを歩み始めた。Jリーガーとしての経験を、どう今後に生かしていきたいのか。

「最も大事にしたいのは『苦手なことから逃げてはダメだ』ということです。長所を伸ばすことも大切ですが、短所を補うこと、向上させることに取り組んでいきたいと考えています」

 金鍾成監督(現カマタマーレ讃岐監督)が率いていた2022年のガイナーレ鳥取は、小林さんを含めて6人の大卒ルーキーが加入。同期の多くは早い時期から出場機会を得たものの、小林さんはメンバーにも入れない時期が続いた。

 初めて控えに入った前述のJ3第8節で後半開始から出場してデビューし、続く第10節(第8節は延期分で、次の試合が第10節)は84分から途中出場。だが第11節からは5試合続けて控えに入るも出番はなく、その後は再びメンバー外が続いてシーズンが終わり、契約満了となった。

 身体能力の高さを生かした対人プレーの強さを武器とする一方、指揮官が求める最終ラインでのパスワークは得意ではなかった。チームメイトと自分を比較して「止める・蹴るの技術、ポジショニング、サッカーIQが足りませんでした。もう少し改善できていたら、という思いがある」と明かす。

 それと同時に「短所を補い、苦手なことを克服するために何をすればいいのか分からず、監督やコーチにアプローチできなかった」との思いもある。「どうすればいいんだろうと考えても分からず、結果が出ない。分からないから長所で勝負せざるを得なかった、というのが正直なところですが、プロの世界で自分の身体能力は並のレベルだった」という現実を突きつけられた。

 苦い経験をしたからこそ、セカンドキャリアではビジネスマナーなど苦手なことも、先輩に聞きながら向上に努めている。その先に思い描くのは「小林さんが担当でよかった、と思われるような社会人になりたい」との未来。「大会や合宿で、誰にでもできることではなく、小林ならではのプラスアルファを与えられる社会人になりたい」と意気込む。

画像: サッカーマガジンカップの期間中、先輩社員に聞きながら業務をこなす。Jリーグでの経験を社会人生活に生かし、成長を期している(写真◎石倉利英)

サッカーマガジンカップの期間中、先輩社員に聞きながら業務をこなす。Jリーグでの経験を社会人生活に生かし、成長を期している(写真◎石倉利英)

 元Jリーガーという肩書も大切にしていくつもりだ。毎日コムネットは高校年代の大会を数多く手がけており、「Jリーグのピッチに立つことは、誰にでもできる経験ではありません。この貴重な経験や、そこで学んだものを、大会に参加してくれる育成年代の選手たちに、何らかの形で伝えていけたら」との考えがある。

 現在もガイナーレ鳥取の動向を常にチェックしており、4年目の現在は主力としてプレーしている同期のMF小澤秀充、MF丸山壮大とは時々連絡を取り合っている。そこには「ヒデ(小澤)やマル(丸山)だけでなく、移籍して別のJクラブでプレーしていたり、下のカテゴリーでサッカーを続けている同期を見ると、もちろん応援していますが、悔しさもある」との複雑な感情が浮かぶ。

 2024年以降、関東リーグ2部の横浜猛蹴FCや、7人制サッカー『ソサイチ』の東京ヴェルディソサイチで、アマチュアとしてプレーしてきた。現在も草サッカーチームでプレーしているのは「その悔しさがあるから」だと言う。大会を運営しながら試合を見ていると、ボールを蹴りたくなるし、自分なら、こうプレーするだろうと考える。現在の職場で働くようになって「自分はサッカーが好きで、サッカーをプレーするのが好きなんだと、より強く感じている」ことが、情熱の源になっている。

 毎日コムネットでの業務を第一に考えながら、これからもアマチュアでのプレーを続けていきたいと思っている。Jリーグで実現できなかったことがあるからだ。

「息子や娘を抱いて入場する選手の姿にあこがれていました。自分の子どもに、サッカーをやっているお父さんはかっこいいと思われたいですし、プレーしていたことを覚えているくらいの年齢までは、続けたいと思っています」

 8月に結婚したばかり。子どもとともにピッチへと向かい、家族に応援されながらプレーする日を夢見ている。

取材・写真◎石倉利英


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