「地元の人との距離が近い」
――アルビレックス新潟、アルビレックス新潟シンガポール、ガイナーレ鳥取を経て、2014年に当時JFLだったアスルクラロ沼津に加入しました。
尾崎 正直に言うと、アスルクラロのことは知らなかったんです。鳥取を退団したときは、東南アジアでクラブを探そうと思っていて。静岡県の実家に帰ったときに体を動かしたいと思い、中学時代の指導者が、昨季までアスルクラロの監督で、当時コーチだった吉田謙さんの知り合いという縁で、アスルクラロの練習に参加させてもらいました。そこで吉田さんに熱心に誘われたこともあり、加入することになったんです。あの縁がなかったら、アスルクラロではプレーしていませんね。
――今季で在籍7年目となり、これまでで最も長くプレーするクラブになりました。
尾崎 1年目は地元の人でも、アスルクラロのことを知っている人は少なかったです。でも2年目、3年目と増えていくのが分かって、うれしかったですね。年数も重ねてきましたが、だんだん名前が浸透していったことで、僕の思いも強くなっていきました。
――ピッチ外も含めて、アスルクラロの存在を多くの人に知ってもらおうという思いでプレー、活動されてきたのですか。
尾崎 いまも同じ思いを持っていますし、新しく加入する選手も、最初はそうでなくても、同じ思いを持つようになります。これだけ周りの人によくしてもらい、応援してもらったら、思うようになりますよね。以前チームメイトだった選手が、レインコートの贈呈や野菜販売への協力のことを聞いて「アスルクラロの良さって、そういうところですよね」と言っていました。すぐクラブは動く、選手も協力しますし、選手が自主的に動くこともあります。それがアスルクラロの特徴であり、良さ。そういう選手がたくさんいたから、アスルクラロはここまで来ていると思うし、今後クラブが成長し、J2、J1と昇格していっても、なくしてほしくない部分です。
――アスルクラロの良さは、ほかにどんなことがあると思いますか。
尾崎 選手はみんな真面目です。クラブは規模が大きくないぶん、できることが多いのが良いところだと思います。地元の人との距離も近いですね。アスルクラロは働きながらプレーしている選手が多いので、地元の人と接する時間がすごく長いです。だから応援してもらえる。地域密着はアスルクラロだけでなく、Jリーグ全体で掲げていることなので、もっと意識する必要があると思います。
――静岡県はJクラブが4つありますから、アスルクラロと沼津市や県東部との関係は、密度の濃いものとなっているのでは?
尾崎 Jクラブが1つしかない県なら、必然的に県全体で応援してくれると思いますが、静岡県は4つあって、JFLにはアマチュア最強のHonda FCもあります。ただアスルクラロは県東部唯一のクラブです。もちろんクラブが強くなっていくことが前提ですが、選手としてはもちろん、人間としても成長できるところですし、東部の皆さんは愛着を持ってくれていると思います。自分は7年間、地元への思いを持ってプレーしてきて、新しく加入した選手にも伝えるようにしてきました。それらはアスルクラロが東部で活動していく上で、大事なことの一つだと思います。