上写真=ここ2年は出場機会が限られた。今季は完全復活を期す(写真◎J.LEAGUE)
思いに惹かれてここに来た
歩んできたキャリアは、決して順風満帆ではない。特に近年は大きなケガに苦しんできた。
湘南のアカデミーで育ち、トップチームに昇格したのは2008年。ジェフユナイテッド千葉に期限付き移籍を経て、湘南で出場機会を増やしていった。当時は若きタレントとして将来を嘱望される存在で、U-21日本代表に選出されたこともあった。2014年には再びファジアーノ岡山への期限付き移籍を経験し、翌年に清水エスパルスに加わることになる。
清水では2015年に11試合に出場(先発は10試合)。翌2016年シーズンは開幕スタメンを果たし、その後も先発を続けていたが、突然、キャリアは暗転する。セレッソ大阪戦(7節)で左ひざの前十字じん帯を損傷。即日、手術を行なう大ケガで、長期離脱を余儀なくされた。
当時、本人はSNSで気丈にも「(プレーに)後悔はない」と発信し、実際に見事な復活を遂げてみせた。半年あまりのリハビリを経て臨んだ2017年シーズンは、28試合に先発。右サイドバックとしての高い能力を示した。しかし、シーズンを完遂すると思われた33節のアルビレックス新潟戦で、再び大きなケガを負ってしまう。今度は右ひざを前十字じん帯を損傷。全治7カ月と診断された。
翌2018年シーズンはケガの影響もあって出場機会がなく、2019年シーズンは先発1試合(途中出場2試合)、時間にして151分の出場に留まった。そして、契約を満了。清水でのキャリアが幕を閉じることになった。
すでに30歳。多くの時間が残されている年齢とは言えない。鎌田にネクストステージがあるのか、注目されていた。
そして今日、1月17日に次の舞台が明らかになった。ブラウブリッツ秋田と契約を結び、2020年シーズンはJ3で戦うと発表された。
決断の理由について、鎌田本人が公式HPにコメントを寄せている。
「まずは、秋田に来ることができて嬉しいです。今回、岩瀬(浩介)社長と吉田(謙)監督の熱意と思いに惹かれ、ここに来ることを決断しました。J2昇格、そして優勝できるよう心一つに頑張りましょう」
発信されたのは、ポジティブな言葉だ。2度の大ケガを乗り越えたサイドバックは秋田の地で完全復活を目指す。もうすぐ、ソユーススタジムのライン際を駆ける鎌田翔雅が見られる――。