鹿島アントラーズは、スクールからユースまでのアカデミーを対象としたファンクラブ「アカデミーサポートクラブ」を創設し、2023シーズンの会員を募集している。育成年代の選手たちを支援するアカデミーサポートクラブ発足に際し、アカデミーで指導する柳沢敦ユース監督と小笠原満男テクニカルアドバイザーが、それぞれの体験談を踏まえながら育成年代について語り合った。

「代表に選ばれ続けることが大事」「成功体験でグッと成長できた」

――育成年代において“井の中の蛙”とならないよう、さらに上のレベルを知ることの重要性はお二人ともよく話されています。改めて年代別日本代表に参加した当時、どんな刺激を受けましたか?

小笠原 年代別日本代表で受けた刺激は、すごくありました。自分は東北の高校(岩手県・大船渡高校)だったので、東北ではある程度できていたことが、代表に行ったらもう全然ダメで……。本山(雅志)、中田(浩二)、遠藤ヤット(保仁)とか、すごい選手がたくさんいて、試合に出られずに帰ってきたこともありました。「もっと頑張らなきゃな」っていう刺激を常にもらっていました。ヤナさんは自分とは正反対で、エリートですもんね?

柳沢 いやいや(笑)。僕のときは戸田(和幸)や船越(優蔵)が、一つ上の代のツネさん(宮本恒靖)やヒデさん(中田英寿)たちのチームにも入っていたし、“エリート”といえば東京や千葉、静岡の選手たちでした。僕は富山の田舎から代表に行って、静岡から来た選手たちの輪に入っていけないタイプだったことを覚えているよ。そいつらに「ピッチの上では絶対に負けたくない」みたいな根性で必死にやっていたね。

小笠原 田舎者は、最初は下に見られますよね(苦笑)。

柳沢 そうだね、下に見られる(苦笑)。やっぱり、代表は東京や千葉、静岡の選手が多かったから。でも、認められてくると、だんだんと周りの選手からパスが来るようになって、ピッチ外でも最初は「なんだよ、富山県人」くらいだったのが、「おお、富山ってどんなところなんだ?」って僕の地元に興味を持たれるようになってね(笑)。彼らに比べると、田舎の高校生だった僕たちは大人しいほうだったよね。

小笠原 本当に自分たちは大人しいほうでした(笑)。でも、ヤナさんは18歳でフル代表に行きましたよね?

柳沢 ああ、B代表ね。

小笠原 高校生でB代表ですよ。タイのキングスカップに参加したんでしたっけ?

柳沢 そうだね。キングスカップのB代表に入ってから、毎回、呼ばれるようになったかな。一つの試合がきっかけとなって大きく成長できたりもするので、代表に選ばれ続けることが大事だと思っていた。

小笠原 自分は、代表に呼ばれてもベンチだとか、トルシエ監督(当時)に怒られたり、ワールドカップでも3分くらいしか出場できなかったりと、あまりいい思いはしていませんでした(苦笑)。でも、そのたびに悔しさを味わって、チームに帰ってから「彼らを絶対に超えてやる」と思って練習に取り組めました。だから、ヤナさんが言うように代表に呼び続けてもらえたことで得た経験は大きいです。

柳沢 やっぱり、継続的に代表に呼ばれて、その年代の世界大会を経験することはすごく大事だよね。満男も僕もU-17ワールドカップからオリンピック、そしてワールドカップまで全部経験しているから、世界大会を経験することはとても大事だと思っています。

小笠原 自分もワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)で準優勝して、その成功体験でグッと成長できた気がします。育成年代では、一つひとつの成功体験の積み重ねが大きな成長につながる。今のアカデミーの選手たちにも高いレベルの経験をしてもらいたいし、常に「まだ自分は足りない」と気がつけるような環境を用意してあげたいですね。


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