上写真=中村憲剛の引退までを追った映画には、多くの喜びと悲しみが詰まっている(写真提供◎川崎フロンターレ)
主役は中村憲剛、なんだけど…
「ロードムービー、好きなんだよね」
――主人公が旅に出て、たくさんの人に出会って、いろんなことが起きて。
「そうそう。観たら旅に出たくなる。で、『ONE FOUR KENGO THE MOVIE』を観たんだけど、あれってロードムービーだったことに気づいて」
――いや、川崎という街が舞台なんだから、そもそも「移動」という装置がないし。
「それが、移動するんだよね。なんというか、魂が?」
――魂?
「中村憲剛という華奢で無名の青年がプロサッカー選手になって、日本を代表する選手に成長していって、やがて引退していくという、長く曲がりくねった道をどんどん移動する物語。いや、フィクションじゃなくて、現実なんだけれど」
――成長への道を移動していく、ということだね。魂というのは?
「中村憲剛がその道を行くんだけれど、ロードムービーと同じで、見ている人の心が一緒に移動していく意味で。感情があっちに行ったりこっちに行ったりしながら」
――しかも、フィクションじゃないから、実体験してきた人であれば、泣いたり笑ったりと感情がダイレクトに揺さぶられて。
「だから、一種のロードムービーなんだなって、あくまで個人の感想だけど。彼の来た道を知っている人も知らない人も、彼がプロフットボーラーとしてたどってきた時間軸を歩いていく、あるいは走っていく、という形のね。あとは、この映画の主人公は中村憲剛であって中村憲剛ではない」
――どういうこと?
「中村憲剛という人が、ピッチの中央に立つボランチのように、この映画のど真ん中にいるのは確か。でも、そこに引き寄せられた人たちがたくさん出てくるでしょ」
――その人たちも主役、と言いたいわけだ。
「月並みなインプレッションで申し訳ないんだけど、まさにそれ。中村憲剛が主役でありながらも、有名無名に関わらず、映画に出てくる中村憲剛以外の人が、いや、ここに出てこない人も含めて、みんなで一緒に中村憲剛という概念を生み出した絶対的事実の記録」
モウリーニョ、ヘミングウェイ、中村憲剛
――そういう視点で見ると、もう一つの「ONE FOUR KENGO THE MOVIE」が存在するということかもしれない。
「その『ONE FOUR KENGO』というタイトルを考えた人、天才だと思う」
――どうして?