2020シーズン限りで引退した川崎フロンターレの中村憲剛を追いかけた映画「ONE FOUR KENGO THE MOVIE」。もちろん、サッカーがテーマのノンフィクションではあるのだが、それは、どこかでなにかが起こって普遍的なメッセージを心に残すロードムービーのようでもあって…。
画像: モウリーニョ、ヘミングウェイ、中村憲剛

「まずは、そのままの意味で『憲剛のために一つになる』というコンセプトをわかりやすく提示してくれている。「FOR」ではなく「FOUR」にする言葉遊びで、1(ONE)と4(FOUR)で背番号を表したし、フロンターレのFもちゃんと入ってる」

――確かにいいよね。

「もう一つ、ONEには一般的な『人』という意味もあったよね。つまり、憲剛のために行動する人、とも取れる」

――だから、主役は中村憲剛だけではなくて…。

「そうそう。調べてみると、ONEは代名詞としての『人』だけではなくて、選ばれた人、という特別な意味を持たせるケースもあるらしい。ジョゼ・モウリーニョが自身を「SPECIAL ONE」と表現したのに近いかもしれない。だから、関わった一人ひとりが、中村憲剛なるものを生み出した特別な存在である、と暗示しているのでは、って深読みもしてしまって」

――サッカーがうまくて、それもとびきりうまくて、クリーンで、フェアで、言葉にするのも上手で、賢くて、人懐っこくて、いつも優しくて、別け隔てなく接してくれて、安っぽいスターぶらずに、どんなときにも元気をくれる理想的な人間。つまり、イデアというか、絶対的な素敵さはこの世にちゃんと存在するんですよ、と再確認するための映画なのかもしれない。

「もちろん、この映画を最初から最後まで見れば、きれいなことばかりではないこともわかる。ある種の『ブラック憲剛』も出てくるし。でも、そういうことを一切合切、きれいに洗い流したのが、2017年に初めてJ1で優勝したときに、等々力の芝生に突っ伏して流した涙だったんだろうなと、改めて感じたかな」

――あれはいつ見ても名場面。ピークを過ぎたあとの姿も映像化することで、例えばアーネスト・ヘミングウェイの小説「老人と海」のような、どうしようもない寂寥感もあったりする。昔よく、彼と好きな小説について話し合ったことを、過去にコラムで紹介したことがあるけれど、中村憲剛自体が小説を飛び越えて映画になったんだもんなあ。

「そして結局、ロードムービーとしてのこの作品を観ると、引退セレモニーで彼が語った『みんなに会えてよかった!』が答えだったんだな、と個人的には響いたかな」

――サッカーは人生そのもの、とはよく言われることだけど、この映画もその普遍性を伝えているよね。

「ロードムービーは観たら旅に出たくなるって言ったけど、これも観たら、自分も誰かのために何かをできたらいいな、と思った。彼のようにはできないけれど」

『ONE FOUR KENGO THE MOVIE』という心の滋養になる2時間超を経験して、感じたことを文字にしてみました。一人称で書き殴るよりは、人と人が会話をしながら引き出し合う展開の方が、書き手にも読み手にもふさわしいような気が、なぜかしました。
 
 ですからこの対談の語り手は、どちらも筆者です。自分同士でじっくりと会話してみました。もちろん、いつか誰かと、同じように中村憲剛について語り合ってみたいと思います。中村憲剛さんご本人とは、照れくさくてできないと思うけれど。
 
 そして、中村憲剛の背番号14を覚悟を持って引き継いだ脇坂泰斗のプレーに、注目していきたいと思います。物語は終わったわけではないと思うから。(文中一部敬称略)

文◎平澤大輔(サッカーマガジンWEB編集部/元サッカーマガジン編集長)


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