FC東京のクラブコミュニケーター・石川直宏とクラブナビゲーターの羽生直剛が1月4日に開催されるルヴァンカップ決勝を前に、カップ戦決勝のポイントと今回の見どころを語り尽くす。歯に衣着せぬ発言は、試合開催日に二人で5時間半にわたり生配信している『青赤パーク』さながらだ。3度、タイトルを手にした経験者ならではの視点で語る。

歴史の一番先を走るのが僕らなんだ(石川)

画像: クラブの初タイトルとなった04年のヤマザキナビスコカップ。石川直宏は当時23歳(写真◎J.LEAGUE)

クラブの初タイトルとなった04年のヤマザキナビスコカップ。石川直宏は当時23歳(写真◎J.LEAGUE)

――そうなると、貢献をしっかり実感できたのはやはりFC東京にとっての初タイトルを獲得した2004年になりますか。

石川 そうですね。予選はずっと代表でいなかったんですけど、決勝トーナメントに入ってからは、準決勝の東京ヴェルディ戦で得点も取りましたし、貢献できた大会と言えるかもしれません。やっぱりクラブ初タイトルだし、それは自分にとっても大きかったですね。
羽生 クラブ初タイトルというのは、やっぱりあるよね。
石川 あのときはJSL時代から積み重ねてきたものを感じながらプレーしていました。その歴史の一番先を走るのが僕らなんだと言い聞かせて決勝に臨んだことを覚えています。だから、先輩やスタッフ、ファン・サポーターの方々、それまでにクラブに関わってくださった方たちを代表して僕らがプレーし、その思いを形にできたことが何よりもうれしかったですね。

――試合内容も、歴史に残る激闘でした。退場者が出て、ピンチの連続で、PK戦の末にカップをつかみ取りました(0ー0/4PK2)。

石川 前半にジャーンが退場して、浦和の猛攻を受けまくりました。体力的にも精神的にもキャリアの中であれほど苦しかった試合はなかったです。ハーフタイムで足がつっていましたから。
羽生 すごいっ! 相当だね、それは。
石川 緊張もあったと思いますけど、自分が交代したら交代枠を1つ使ってしまうし、後にも先にもあれほど苦しかったことはないですよ。
羽生 試合を見ていても伝わってきたよ。
石川 FC東京が好きな人はもちろん、それ以外の人にも、見ていて感動する試合だったというか。一つになって戦う姿勢を示すことができました。当時、マツくん(松田直樹)も熱い試合だったと言っていたと人から聞いたんですけど、そういう試合を僕らができたこともうれしかったですね。優勝が決まったあとはもう、これ以上ない感動がありました。

――東京が初タイトルを取った翌年に、千葉にクラブ初タイトルをもたらしたのが、羽生さんでした。

羽生 僕らは(イビチャ・)オシムさん(監督)に引き上げられたようなものでした。ジェフって残留争いをしていた時期もあるし、中位ぐらいで「今年は良かったね」というクラブだったと思います。それをリーダーがすべて変えた。チームが変わっていく過程が僕らに自信を持たせてくれましたね。自分たちを信じることができないところから始まって、最後にあそこまで行ったという感じがします。オシムさんが来てすぐ、リーグで優勝争いをしたのですが、最後の最後で自分たちを信じきれなくて、怖くなってしまった。3試合のうち1つでも勝てばというところでタイトルを取り逃して、一気に失速した。いま思えば、リーグ優勝するだけの力がなかったということですけど、この年のカップ戦では、その反省も踏まえつつ戦えたところもありました。
石川 自信はやっぱり大きいですよね。
羽生 それにナオが言っていたように、この年のジェフもチームが一つになっていました。代表で不在な選手がいて戻ってきて、それまで出ていた選手からバトンをつなぐ大会でもあるじゃないですか、リーグカップは。リレーではないけれど、それ以前に出ていた選手の思いも背負って、みんなが戦うことになります。だから本当にチームみんなで戦う大会なんですよね。大会そのものに関わる選手の数が多いし、その意味で一つになっていたと思う。

――初めて決勝に出たときには、プレッシャーは感じなかったのですか。

石川 僕らは失うものがなかったですからね。もちろん緊張はあって、04年の決勝は浦和レッズに連覇がかかっていたんですけど、試合前に話したら、なんか相手は余裕があるんですよ。「表情が硬いんじゃないの」なんて永井(雄一郎)さんに言われたのを覚えています(笑)。そんな状態でしたけど、試合はジャーンが退場し、守備を考えてフジさん(藤山竜仁)が入って、代わりにフミさん(三浦文丈)が交代した。フミさんも期する思いがある中で出場していたのは分かっていたし、ピッチに残ったメンバーがやらなければ、となりました。ネガティブなことをポジティブに変えることができたんです。
羽生 僕は、無我夢中だった気がしますね。緊張感はあったけれど、チームとしてなんか「行ける」気がしていた。


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