1993年にスタートしたJリーグでは、様々な特徴を持つストライカーがゴールを奪い、得点王に輝いてきた。Jリーグ得点王の活躍を振り返る連載の第10回は、史上初の優勝クラブからの得点王、高原直泰を取り上げる。
上写真=史上初の両ステージ制覇を成し遂げた磐田で圧巻のプレーを披露した高原(写真◎J.LEAGUE)
落選のワールドカップ後に大爆発
日韓ワールドカップイヤーの2002年、Jリーグの序盤戦はチームの成績に加え、日本代表のメンバー入りを目指す選手たちのプレーにも注目が集まっていた。ジュビロ磐田にも候補と目される選手が複数おり、その一人が、前年途中のボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)への移籍から復帰したFW高原直泰。1stステージで開幕4連勝と好スタートを切ったチームにあって、高原も4試合で2得点を挙げ、まずまずのプレーを見せていた。
ところが、肺動脈血栓塞栓症(エコノミークラス症候群)を発症し、ワールドカップ直前の2試合を欠場。チームメイトのFW中山雅史がサプライズ選出されたのとは対照的に、最終的にメンバーから外れた。無念の結果となったものの、うっぷんを晴らすかのように再開後のJリーグで素晴らしいパフォーマンスを見せる。
再開初戦の第8節こそ無得点だったが、第9節から最終節(第15節)まで7試合連続の計11得点。第14節ではハットトリックを達成している。高原の得点力に引っ張られたチームは再開後に7勝1分けとして、中盤から首位を走っていた横浜F・マリノスを逆転してステージ優勝を果たした。