現役時代はボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)などでプレーし、現役引退後は東京Vのアカデミーや日テレ・ベレーザなどで指導。現在は城西大女子サッカー部の監督を務めながら、南米サッカー通として解説者としても活躍中の亘崇詞(わたり・たかし)の連載『FANATICO_¡ Nunca bajes los brazos!(絶対に諦めるな!)』がスタートする。これまで指導に当たった教え子や、南米のプレーヤーにインタビューを敢行。ホットな話題を提供していく。記念すべき1回目のゲストは、東京Vジュニア時代の教え子で、今季東京Vで10得点をマークした木村勇大選手。ジュニア時代の思い出話はもちろん、Jリーガーとなるまでの過程をじっくりと聞いた。

上写真=木村勇大は今季、所属の京都から東京Vに期限付き移籍しブレイク。チーム唯一の2ケタ得点をマークし、J1復帰1年目で6位という快挙の牽引役となった(写真◎高野徹)

東京ヴェルディジュニア時代の思い出

 2024シーズンは本当に素晴らしい活躍でした。36試合出場10得点という自身の活躍もありつつ、チームもJ1復帰1年目を6位という良い順位で終えました。

木村 ありがとうございます。開幕から状態が良くて、キープできる自信もありました。昨年はシーズン途中の移籍も経験して(※京都から金沢へ育成型期限付き移籍)、パフォーマンス的にもかなりしんどかったので、「今年しっかりやらないとマズいな」と思っていました。その中で、ヴェルディに移籍して、試合に出続けられたことがまず1つ良かったことだと思います。チームとしては久しぶりのJ1でも全員で戦って、勝ち点を取ることが継続的にできました。正直、最初は残留争いになると思っていたんですけど(苦笑)。そんな予想も裏切った形のシーズンになったかなと思います。

亘 木村選手とは東京ヴェルディジュニアにいた小学校4年生のころにコーチと選手という関係で、その当時からそうだったけど、プレーはワイルドなイメージがあるのに、ピッチから出るとしっかりしている。言葉で伝える力もあるし、 優しさもある。こういう良いところは変わらないね。

木村 いやいやいや、亘さんには助けてもらってばかりでしたよ。

 一緒にボール蹴らせてもらっていただけだよ。ただ、お家の事情で1年で引っ越すことになりました。

木村 寂しかったです。最初、ヴェルディに入ったときは、本当に毎日辞めたくてしょうがなかったんですけど。

 どうして?

木村 怖かったんです。先輩も、同級生も、みんな(※谷口栄斗が1学年上、同学年に森田晃樹、綱島悠斗ら)。サッカーがうま過ぎて。ついていくのに必死。何とか食らいついていって、1年くらいしてやっといい感じにやれるようになったときに引っ越しですから。すごく寂しかったです。あのときは。

 誰もが言うね。ヴェルディに来ると、うまくて、怖いって。

木村 サッカーの実力で上と下じゃないですけど、関係性が決まるんです。分かりやすいと言えば、分かりやすいんですけどね。「サッカーのうまいやつが偉い」みたいな。初めのうちは試合に出ても仲間外れのような感じになるんです。ボールもあまり来ないですし。そこで結果を出して、認めてもらわないといけない。サッカーサバイバルみたいな。

 読売クラブのころのことだけど、トップチームでも、北澤豪さんでさえも、移籍したばかりのころは「パスが来なかった」と言うしね。

木村 そうなんですね。でも、そのおかげで今があるのは確かです。そういう世界を小学校4年生で経験できたのは、とても大きいことだったと思います。

 小さいころからヴェルディにいた子は別として、このチームのリズムだったり、うまい子、強い子に順応するまでは時間が掛かるかもね。

木村 そう思います。

 とはいえ、木村選手はそのチームについていったというか、徐々にピッチ上でも自信がついてきて、持っているものを出していった、というのが僕は印象的でした。在籍した最後のほうに出場したバーモントカップ(※U-12フットサル選手権)では堂々とプレーしてね。僕たちはフットサルのチームにも勝って優勝したんだけどさ、あるフットサルの代表の方がインタビューに来てくれて、「君たちもっとフットサルを勉強したら強くなるよ」って言われて、小学校6年生とか小学校4年生だった子たちが「僕たち優勝したんですけど」って言い返していたのをすごく覚えている。

木村 そんなやつばっかりでしたね(笑)。でも、ここでめちゃくちゃ成長できたと思います。本当にベースになる部分はヴェルディで培ったもの。今はそこにいろいろと改良を加えていますけど、根本はここで育ったので。僕は。

プロ加入までの軌跡

 引っ越しをし、ヴェルディから移った先の新しいチームはどうでしたか。

木村 神戸のU-12に入ったのですが、ヴェルディがガツガツしていたので、神戸はみんな優しく感じました(笑)。

 中学ではそのまま神戸U-15に進んだのですね。

木村 かなり伸び悩みました。まず、身長が止まってしまい、身体能力もそうです。 小学校6年生と中学校3年生の50メートル走のタイムがまったく一緒で……。0.01秒も変わりませんでした。だいぶマズイですよね。中学生になると、体の大きな子もいっぱい出てくる。「これはヤバイ」と。小学校ではかなり自信があったので、ちょっとサボる……と言ったら語弊がありますけど、少し天狗になっていた部分があり、それも相まって中学がかなりしんどいことになってしまいました。今だから言えますけど……。

亘 育成年代を見てきて、僕がつくづく思うのが、そういう壁に当たったときに、やめてしまったり、逃げるのではなくて、大事なのは「どうにかしよう」とする気持ちだと思う。

木村 そうですね。中学は卒業するまで、ずっと苦しかったのですが、高校(大阪桐蔭高)で「どうにかしてやろう」という気持ちを持ってやれたのが良かったと思います。神戸U-18に上がれず、悔しかったし、「見返してやろう」と。僕と入れ替わりで神戸U-18に入った選手には、すごい実力者がいっぱいいたんですけど、負けたくありませんでした。

 育成に関わらせてもらって、本当は全員プロになってほしいと僕は思っているんです。でも、紙一重のところで上のカテゴリーに上がれる、上がれない、プロになれる、なれないの差が出てくる。そこに頑張る秘密、逃げない秘密が絶対にあって、木村選手もそうだったと思う。高校から関西学院大に進むわけですが、いろいろな意味で違いがあったでしょう?

木村 違いました。そもそも、レベルも高かったので。大学1年生は18歳とかで入るわけですが、4年生はもう22、23歳なので、みんな大人で。上下関係の比較的ゆるい大学ではありましたが、それでも4年生は「神」みたいな感じもあって。大学も大学で苦しんだ部分もありました。

 今の話しは大学のことだけれど、「クラブと部活(学校)は違う」ってよく聞かされていて。僕はそうは言いたくなかったんだけど、今、大学に指導しに行くようになって(※城西大)、やっとみんなの言っている意味が分かった。小学校の段階から指導者と「これどうなんですかね?」という話しをしていいのがクラブ。でも、大学は黙って言われたことをやってみて、ちょっと理不尽なところもあったりもして。さらに高校の部活だと、どうなのかな、と。一概には言えないし、全部が全部そういうわけではないと思うけれども。

木村 それが、大学はたまたま監督がすごく若い方で、これから経験を積んでいくということもあって、結構、会話を求めてくれたので、そこは良かったかなと。ただ、高校はカルチャーショックでした。中学まではプロクラブの育成組織で長くプレーしていたので。全然、違いましたよ。

 いろいろな選択肢がある中で、育成年代で自分を鍛えるチームを木村選手があらためて選ぶとしたら、どうなる?

木村 小さいときはクラブを選ぶかなと思います。技術という部分に圧倒的に差が出る時期だと僕は思うので。1年だけでしたけど、ヴェルディに行っていなかったら、多分、僕は足元が苦手な選手になっていたんじゃないかな。練習環境もそうです。手入れの行き届いた良い芝でプレーできて、夜でも照明がついて、というのは、プロの育成組織だから。ただ、これは僕の個人的な見解であって、例えば高校年代に上がると、さらに高体連とクラブとどちらがいいか、人それぞれ意見は分かれると思います。

 今、大学は再注目されていると思います。大学を出て、プロになった人、海外で活躍する人、今の日本代表にも大学出身者が多くいます。大学での4年間はどうでしたか。

木村 これは冗談抜きに、人によるなと思っています。僕はスポーツ推薦で入らせてもらって、3年、4年と関西(学生リーグ)も優勝して、全国でもベスト4とかだったのですが、部員数が多くて、4学年で180人。AからDまでチーム(カテゴリー)がありました。これだけ人数がいると、遊ぶやつもいるし、就職活動の時期になると練習に人が来ないとかもたくさんいます。僕は「絶対プロになる」と思って取り組んでいたのですが、練習に来てもグラウンドで就活の話をするんですよ。ある程度、学力もある大学だったので、どこそこの企業に行きたいとかっていう話が増えてきて、サッカーに対する熱量の差を感じました。下のチーム(カテゴリー)だと、練習を休んで遊びに行っている選手もいる。良くも悪くも管理がされていないというか、上を目指したいのならば自立して自制して、というのが求められるので、本当に人によって分かれるかなと思います。

亘 そうだね。

木村 良い側面で言うと、毎週どのチーム(カテゴリー)でも試合があることです。例えばプロでユースからトップに上がって全く試合に出られずに4年間過ごす選手と比べると、やっぱり大学でも試合に出続けた4年間というのは濃いなと思います。自分で考えて成長するためにトレーニングとかもやっていたので、それが今いい方向につながっているのも事実です。ただ、大卒でプロになっても、年齢が年齢なので、1年目から「この1年」にかける焦りもすごいです。そういう意味でも、昨季は「やばいな」と思って、本当に今季結果を出さなかったらプロとしては終わりだと思っていました。

 大学で学んだことで今に生きていることは。

木村 自分で考える力ですね。学生ですから、ちゃんと授業を受けて、単位を取って……。全部自分で考えて動かないと置いていかれるので。社会に出ていく前にそのような力を養うところに、大学の良さがあると思います。これも人によりますけど、ユース上がりで結構ちゃらんぽらんな選手もいるので(笑)。でも、若い世代で活躍しているユース上がりとか高卒の選手を見ると、僕はうらやましいです。その舞台にダイレクトで行けなくて僕は大学に進んだ立場なので。ほんとにいい側面、悪い側面、どちらもあるんじゃないかと思います。

 確かに、どちらの面もあるね。自立心というところで言うと、大学は自分たちで運営とかもやるし、そういうところはサッカーに限らず、勉強になるよね。でも、大学もただ行けばいいわけじゃなくて、4年間、ある程度のレベル(カテゴリー)で試合に出ることもすごく大事だと思う。木村選手は1年時からトップチームに?

木村 1年の最後ぐらいからAチームに上げてもらって、試合にも出させてもらいました。レベルの高い大学だと、プロと練習試合をしても勝つことも少なくありません。そういうところも良かったですね。アピールにもなるし。

画像: 東京Vのジュニア、神戸のジュニアユースから、高校・大学を経てJにたどり着いた木村。その過程は決して順風満帆ではなかったという(写真◎J.LEAGUE)

東京Vのジュニア、神戸のジュニアユースから、高校・大学を経てJにたどり着いた木村。その過程は決して順風満帆ではなかったという(写真◎J.LEAGUE)

ヴェルディ帰還

 チームメイトが就職活動に力を入れる中、木村選手は考えなかったの?

木村 ありがたいことに、2年生の終わりのころ、最初にヴェルディが練習に呼んでくれて。大体3年生の途中から就職活動が本格化するので、その前に「プロになれるかもしれない」、という希望があったので、就活を考えませんでした。

 なるほどね。小学校4年生から知っている木村選手がプロになるのは感慨深かったんだけど、1個1個クリアし、昨季、京都でプロとしてのスタートを切り、久しぶりにヴェルディのユニフォームを着て戦った2024シーズンはどうでしたか。

木村 楽しかったです。思ったよりやれるっていう手応えも強かったですし。これまではいけると思ったらつまずいて、またいけると思ったらつまずいて……の連続だったんですけど。なぜなんだろう? と考えてみると、脳の問題なのかな、と。例えば小学生のときにヴェルディに入ったときも、そもそも実力を認められて加入が認められているわけで。最初についていけなかったのは、持っている実力を発揮できていなかったから。じゃあ、それはどうしてかというと、プレースピードとか切り替えの速さについていけなかった。これはカテゴリーが上がって、大人になればなるほど顕著に出てくるんです。

例えば、大学のときも最初、本当についていけなくて、かなり焦っていたんですけど、1カ月もすれば普通にやれるようになっていました。それ以前のレベルから、頭が切り替わっていないだけだったんだな、と。技術云々ではなく、そのプレースピードに頭がついていくかいかないか。昨季は京都であまり出場機会を得られなくて、金沢に移籍しても全然ダメで。今年、J1に復帰したヴェルディに来て、やっぱりレベルが高いなと思いましたけど、頭を早めの段階でアジャストできたのは本当に良かったですし、それが結果につながったと思います。

 なるほどね。小学4年生のときのヴェルディでも、スタートは辛抱の連続だったと思うけど、徐々に自信がついていって。で、夏ぐらいになったら、もうとにかく「ボールを出せ」って仲間に要求していたもんね。自信ついたんだな、と感じたことを覚えている。プロ1年目の昨季は苦しんだかと思うけど、今季のヴェルディの試合を見ていても、どんどん周りに要求しているもんね。

木村 そうですね。大学のときは自信満々で、そのままこの世界に入ってきて、昨季は自分を見失いかけて……。だから、ヴェルディに移籍してきて、最初はあまり自分自身を信じられない感じだったのは確かです。でも、プレーしていく中で「俺ってこういう選手だよな」というのを思い出して、自信を取り戻したのがプレーにも出ているんじゃないかと思います。

 城福さん(浩監督)のサッカーにアジャストするために考えていたことはどんなこと?

木村 守備です。守備ができるのは城福さんのサッカーのスタートライン。多分どれだけすごいプレーヤーでも、守備ができないと話にならないし、そもそもスタートラインにも立てない。ただ、入ってすぐに「このレベルまでの守備」というのが明確に示してくれました。 守備は苦手でしたけど(苦笑)、まずはその最低限のラインまで持っていくっていう努力はしました。

 守備の面で注意されたことは?

木村 自分では結構(相手に)寄せている“つもり”みたいなことが多くて。例えば2、3歩前までは寄せるけど、最後、どうせ取れないし……みたいな感じで緩めてしまっていた部分があったんです。そういうときに、「ちゃんと目の前まで寄せ切れ」というのをキャンプ中などに何度か言われました。「(緩めることを)体に染み付けるな」と。

 プロになると、言われるのがいやな選手もいたり、プライドが出てきて、素直には聞けなかったりすることもあるとは思う。でも、そこはやっぱり謙虚に思えることが大事だよね。ちょっと話は戻るけど、「プロでやっていけるな」と思った時期はいつですか。

木村 大学4年生(2022年)に京都の特別指定で試合に出させてもらったときです。リーグ戦7試合、カップ戦に1試合と、結構な試合で起用していただいて。ある程度、僕の役割を最小限にしてくれたのもあるのですが、「やれるんじゃないか」と思いました。でも、昨年、プロとして京都の一員になって、「これは厳しい」と……。で、今季、開幕を迎えてからですかね。2試合目、3試合目で2試合連続ゴールを決めて、「これはできる」と思いました。

 開幕直後、本当に乗っていたね。最終的に、J1で10ゴールですから。これはすごい。クラブの手前、聞きにくい質問なんだけど、海外でプレーすることに興味はあるの?

木村 性格的になんでもかんでもチャレンジするのは好きじゃないんです。確率を高めながら、『石橋を叩いて渡る』じゃないですけど。なので、「どこでもいいから海外に行きたい」という欲はありません。まずはJリーグでしっかりとした結果を残して、その上で考える。最初のステップは、今ならオランダ、ドイツ、イングランド2部でしょうか。さらに大きなクラブ、リーグにステップアップできるチャンスが多くあるかなと思いますし、そういうリーグから声を掛けてもらえるようになったら、思い切っていきたいとは思いますけど。年齢も年齢なので、「とにかく海外」という感じではないですね。

 ヴェルディを選んだのもそうだし、やっぱりしっかり考えて、地に足がついているなと感じますね。まだまだ伸びていくと思うし、今後も活躍を期待しています。

木村 頑張ります。

画像: 木村(右)は東京Vジュニア時代に亘(左)の指導を受けた。わずか1年余りだったと言うが、今でも亘を「恩人」と慕っている(写真◎高野徹)

木村(右)は東京Vジュニア時代に亘(左)の指導を受けた。わずか1年余りだったと言うが、今でも亘を「恩人」と慕っている(写真◎高野徹)

木村勇大/プロフィール
きむら・ゆうだい◎2001年2月28日生まれ。大阪府出身。YNキッカーズでサッカーを始め、小学4年時に東京Vジュニアに加入。転居で兵庫県へ移り、神戸U-12に加入。神戸U-15を経て大阪桐蔭高、関西学院大と進み、23年に京都加入。昨季はシーズン途中に金沢へ期限付き移籍、今季は東京Vへ期限付き移籍し、リーグ戦36試合10得点の活躍を見せた。

亘崇詞/プロフィール
わたり・たかし◎1972年3月8日生まれ。岡山県出身。津工高在籍時にアルゼンチンへ留学し、卒業後に三菱石油水島で社員選手としてプレー。国体選手としても活躍するが退社し、91年にボカユースチームにテスト入団を果たす。92年にボカとプロ契約、93年にドック・スド(アルゼンチン)でプレーした後、94年にボカに復帰。その後、アメリカやペルーでプレー。日本では栃木SC、アルテ高崎に所属。2010年に指導者に転身。東京Vジュニアコーチ、東京Vジュニアユース監督、日テレ・ベレーザ、ASエルフェンのコーチとして一部に昇格した。その後、2015年に広東省体育彩票女子足球隊(中国)で監督を務め、17年より岡山湯郷Belle監督、岡山国体女子チームなどを歴任、22年より城西大女子サッカー部監督を務める。S級ライセンスを23年に取得

取材◎亘崇詞
写真◎高野徹、J.LEAGUE
取材協力◎山田行商


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