サッカー世界遺産では語り継ぐべきクラブや代表チーム、選手を紹介する。第38回は、トルコに初の欧州タイトルをもたらしたチームを取り上げる。その力によって、代表チームも躍進させることになった90年後半から2000年代前半のガラタサライだ。

カルパチアのマラドーナ

画像: 豪快かつ繊細な左足キックを駆使して、ガラタサライの躍進を象徴する存在となったハジ。周りを生かしながら自らも輝き、欧州の列強を連破してのUEFAカップ制覇に大きく貢献した(写真◎Getty Images)

豪快かつ繊細な左足キックを駆使して、ガラタサライの躍進を象徴する存在となったハジ。周りを生かしながら自らも輝き、欧州の列強を連破してのUEFAカップ制覇に大きく貢献した(写真◎Getty Images)

 ガラタサライにはボール扱いの達者な人材がそろっていた。技術を使ってパスを回し、機に乗じて鋭い速攻を繰り出していく。東南ヨーロッパの流れを汲んだ戦い方と言ってもいい。つまりはブルガリア、旧ユーゴスラビア、ルーマニアといったバルカン諸国のスタイルである。

 ボスポラス海峡を挟んだトルコの西側はバルカン半島の一部だ。テリムの跡目を継いだルーマニアの智将ミルチェア・ルチェスクもこう認めている。

「我々のスタイルはトルコ本来のそれと似たものだ」

 初めてトルコにやって来たハジやポペスクが水を得た魚のように躍動したのも納得がいく。とりわけ『カルパチアのマラドーナ』と呼ばれたハジの立ち回りは躍進の導火線となった。
背番号は10。ただし、主戦場は中央(トップ下)ではない。右に大きく開いてボールを呼び込み、そこから決定的な仕事に取りかかる異能の人だった。

 止める、蹴る、運ぶ。そのどれもが細工だらけで、左足から繰り出すパスは硬軟自在。矢のような対角パスやライン裏をえぐる繊細なパスを巧みに使い分けた。

 また、隙があれば自らボールを持って縦への突破や、インサイドへの斬り込みを狙う。おまけに、遠い距離からやすやすとネットを射抜くドライブ回転の強烈な一撃まで持っていた。

 持ち前の手練手管に磨きがかかったプレーは、まさに円熟の極み。脇を固める面々もエースの生かし方を心得ていた。ボールを拾い、預け、走り、受ける。それを繰り返すことが勝利への近道と知っていたからだ。

 前線は3トップ。その実は1トップ2シャドーに近い。トライアングルの頂点にハカン・シュキュルを据え、右後方にハジ、左後方にアリフという構成だった。

 ポスト役のハカン・シュキュルは『ボスポラスの雄牛』と呼ばれた191センチの巨人。その周囲を機動力抜群のアリフが衛星のように動き回り、ハジの鋭いパスを引き出していく。

 いや、前線だけではない。中盤にも頼もしいゴールの襲撃者がいた。右のオカン、左のエムレだ。前者の走力、後者の技術が10番の創造力と密接にリンクし、多彩な攻め手を持つことになった。こうしてハジ専用シフトを確立したテリムのチームは、いよいよ黄金時代のピークを迎える。就任から4年目、1999-2000シーズンのことだった。

史上初の無敗優勝

 実に9戦負けなし。3回戦から決勝まで一気に駆け抜けたガラタサライは、UEFAカップ史上初の無敗優勝を成し遂げる。
ボローニャ(イタリア)を接戦の末に破ったところから快進撃が始まった。1999年12月9日のことだ。

 年明けの4回戦でドルトムント(ドイツ)を撃破。さらに準々決勝でスペインの伏兵マジョルカを破ると、準決勝ではイングランドの強豪リーズを退けた。圧巻は敵地でのゴールラッシュだ。ボローニャとは1-1だったが、ドルトムントを2-0、マジョルカを4-1で攻め下し、難敵リーズからも2ゴールを奪って、ドローに持ち込んでいる。

 しかも主砲ハカン・シュキュルが、敵地での4試合でことごとく得点する大車輪の活躍。内弁慶の汚名を返上し、決勝進出の立役者となった。もはや西ヨーロッパ勢に対するコンプレックスも忘却の彼方。こうしてイングランドきっての強豪アーセナルとの決戦に挑む。そこで思わぬ筋書きが待っていた。

 ハジの退場である。

 ボールをめぐって激しく競り合ったトニー・アダムスを突き飛ばし、痛恨の一発レッド。延長前半の94分だった。そこで折れず、腐らず、粘りに粘ってPK戦へ。テリム仕込みの不屈の精神が土壇場で天運を呼び寄せることになった。

 結果は4-2。後攻のアーセナルは1番手のダボール・シュケルが右ポストに当て、3番手のパトリック・ビエラがクロスバーを叩く。逆にガラタサライのキッカーは全員成功。10人での戦いを強いられながら、最後までタイトルへの執念を失わなかった。

 戦犯になりかけたハジを救ったのも、劣等感を取り除き、勝者の精神をもたらした大ベテランへのリスペクトからか。こうしてハジの名はクラブ史上最高の英雄として刻まれることになる。もう1人の英雄テリムは栄冠を置き土産に退任。フィオレンティーナ(イタリア)の新監督に迎えられる。テリム政権のフィナーレは、輝かしい黄金時代の終わりの始まりでもあった。


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