サッカー世界遺産では語り継ぐべきクラブや代表チーム、選手を紹介する。第37回は二強に抗って90年代後半から2000年代はじめに旋風を巻き起こしたスペインのクラブを取り上げる。南米の色がにじむ守備とカウンターを武器に、欧州王者に迫ったバレンシアだ。

誤算と遺産

画像: ノルウェー人FWジョン・カリュー(写真◎Getty Images)

ノルウェー人FWジョン・カリュー(写真◎Getty Images)

 主力の流出に伴い、バレンシアの幹(縦軸)は一新された。

 まず、前線にノルウェーの巨人ジョン・カリュー、最終ラインの統率者にアルゼンチン代表のロベルト・アジャラが君臨。そして、中盤の底にはスペインの新鋭ルベン・バラハが収まった。

 クーペルは新たな手駒を使ってチームを再び軌道に乗せ、2シーズン連続でCLの決勝へ導いた。見事な手際と言うほかない。

 だが、またもや肝心の栄冠には手が届かなかった。ドイツの強豪バイエルンとの決勝は1ー1からのPK戦負け。開始3分にメンディエタのPKで先制したものの、後半に追いつかれ、その後は冒険を控える慎重策に終始した。

 誤算もあった。

 前半を終えて、ベンチに退いた新星パブロ・アイマールの空転である。名門リーベルから引き抜いた待望のエンガンチェだが、当時21歳。経験不足はもとより、速攻や両翼からの切り崩しを軸とするバレンシアのスタイルにも完全にフィットしていなかった。システムが二転三転したのも、そのためだ。4ー4ー2フラットや1トップの背後にアイマールを据えた4ー2ー3ー1も試みている。それでも決勝でダイヤモンド型の中盤を選んだのはクーペルのこだわりだろう。

 後半からはダビド・アルベルダをバラハの脇に据えた4ー4ー2フラットへ。防壁はさらに強固になったはずだが、結果的に失点したのだから皮肉である。PK戦を含め、ツキもなかった。

 一方、国内リーグでは最終節でバルサに敗れ、5位に転落。おまけにCLの出場権まで失う散々な幕切れだった。だがクーペルの手腕は国外で高く評価され、イタリアの強豪インテルの新監督に迎えられる。さらに、メンディエタもラツィオへ移籍。バレンシアをヨーロッパ随一の刺客へ押し上げたクペラティバは、わずか2シーズンで解体されることになった。

 それでも、クーペルの「遺産」は後代に引き継がれる。ベニテスがチームの土台だった堅守速攻を現代風にアレンジし、3シーズンで二度のリーグ制覇を果たすことになった。プレスの威力を強め、ボールの狩り場を前寄りに設定した「奪取速攻」への転換である。スペインでは異質の強度を誇るバレンシアは二強の天敵となった。

 ラニエリから始まった独自路線のピーク。まさに黄金期と言っていい。ただ、CLで二度も決勝に駒を進めたのはクーペルの時代だけである。それは案外、一人ひとりの個性が看板の組織力(クペラティバ)以上に際立っていたことと無縁ではないかもしれない。

著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中。youtube『蹴球メガネーズ』


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