サッカー世界遺産では語り継ぐべきクラブや代表チーム、選手を紹介する。第36回はコパ・リベルタドーレス最多優勝を誇るアルゼンチンのインデペンディエンテを取り上げる。1970年代から80年代にかけて、偉大なる10番が君臨した。

10番を囲む変形布陣

画像: 後列左からゴジェン、クラウセン、トロセーロ、ビジェベルデ、マランゴーニ、エンリケ。前列左からブルチャガ、ジュスティ、ベルクダニ、ボチーニ、バルベロン(写真◎Getty Images)

後列左からゴジェン、クラウセン、トロセーロ、ビジェベルデ、マランゴーニ、エンリケ。前列左からブルチャガ、ジュスティ、ベルクダニ、ボチーニ、バルベロン(写真◎Getty Images)

 パストリサの仕上げたインデペンディエンテの布陣は「いびつ」なものだった。後列が4人、前列が2人。登録上は4-4-2だ。そこにエンガンチェをどう組み込むか。

 1980年代に南米勢を中心に広まったのが中盤の4人をダイヤモンド形に並べる4-4-2だ。つまり、ひし形の頂点がエンガンチェ(=トップ下)となる。

 当時はちょうど4-3-3から4-4-2への移行期。3トップの一角を削る代わりにトップ下の椅子を用意した格好だ。しかし、インデペンディエンテのそれは4-3-3の変形ではない。4-2-4の改良版だ。最終ラインの手前に中盤の選手を2人(5番と8番)並べている。

 ドブレ・ボランテだ。パストリサはここに5番のクラウディオ・マランゴーニと8番のリカルド・ジュスティを据えている。どちらも守りに強い選手だ。

 いびつだったのは前線の構成である。4-2-4の前線は右から7番、9番、10番、11番で、このうち、中盤との間に組み込まれた10番がインデペンディエンテ式のエンガンチェだ。

 現代風に言えば4-2-1-3だろうか。ただし、右のウイングは存在しない。7番は神出鬼没のホルヘ・ブルチャガだった。いつもボチーニの側でふらふらしながら、機を見て前線に絡んでいく。言わば、トップとエンガンチェの間を取り持つ仲介者の役割を果たしていた。

 そもそもインデペンディエンテの狙いはボチーニ経由の中央突破だ。いかに敵の最終ラインの背後を突くか。そこでパスの受け手が9番だけでは、さすがに苦しい。そこでブルチャガの働きが大きくモノを言うわけだ。

 ならば、左に張ったアレハンドロ・バルベロン(11番)の機能は何だったか。相手守備陣が中締めに徹した場合のバックドア(脱出口)だ。裏へ走るバルベロンへの対角パスを見せておけば、ブラフの効果も十分だった。

 ともあれ右と左でバランスの異なる奇妙な布陣こそ、パストリサがたどり着いたボチーニの生かし方というわけだ。見た目はいびつでも、チーム全体を最もよく機能させる形だったところが、いかにも個々の尖ったキャラを生かし切る南米の強豪らしかった。

堅守遅攻、ときどき速攻

 独特だったのは陣形だけではない。戦い方もそうだ。攻めてナンボのブラジル勢や守ってナンボのウルグアイ勢とも違っていた。

 矛と盾、どちらもある。

 相手との力関係やスコア、戦況などに応じて、2つの顔を上手に使い分ける。特にクラブレベルの国際大会では、アルゼンチン勢の持つ二面性が、さらに鮮明になるから面白い。

 1984年のインデペンディエンテも対戦相手のレベルに応じて自在に色を変えるチームだった。コパ・リベルタドーレスでも相手の実力が上がっていくと、守りの強さが際立った。

 ブラジル王者のグレミオを破った決勝も敵地の第1戦が1-0、本拠地の第2戦が0-0と、どちらも無失点で終えている。攻撃力で圧倒したからではない。主将を担うセンターバックのエンツォ・トロセーロを軸にしたタフで粘り強い守りが効いたからだ。

 4バックの手前で敵を捕まえる中盤が2人いたのも大きい。本来はシンコ(5番)の役回りだが、8番のジュスティが脇を固めて、マランゴーニの負荷を減らしている。ドブレ・ボランテの妙だ。また、攻撃陣も相手をよく追いかける。ブルチャガとバルベロンは深く引いて、バックスの援護に回ることもいとわない。

 堅守を強みにできたわけだ。その点ではウルグアイ勢と共通するが、ボールを奪った後に違いがある。速攻ではない。細かくパスをつないで押し返す。

 そして、ボチーニまでボールが渡って、相手の守備陣が食いついてきたところで、グサリと背後を突くわけだ。言わば、堅守遅攻。そこに持ち味があった。

 テンポを落として相手の勢いを吸収しながら、自分たちの流れに引き戻していく。そんな海千山千の試合運びが際立っていた。


This article is a sponsored article by
''.