サッカー世界遺産では語り継ぐべきクラブや代表チーム、選手を紹介する。第35回は速さ、強さ、激しさでピッチ上を支配し、世界に覇を唱えた革新的なチーム。1987年から90年代前半のグランデ・ミランだ。

強者のメルマーク

画像: 右からファンバステン(9番)、ライカールト、フリット。EURO88を制したばかりのオランダ代表の中心選手がそろったことで、激しいプレッシングからゴールに迫るミランの攻守は迫力を増した(写真◎Getty Images)

右からファンバステン(9番)、ライカールト、フリット。EURO88を制したばかりのオランダ代表の中心選手がそろったことで、激しいプレッシングからゴールに迫るミランの攻守は迫力を増した(写真◎Getty Images)

 サッキのミランはフットボール界の「黒船」だった。10人が鎖のようにつながって敵に襲いかかる新戦法が、パラダイムを変えてしまったからだ。卓抜した技術と創造力で特権的な立場を与えられてきたナンバー10は、プレッシングにのみ込まれ、次第に姿を消していく。さらには守備にコミットできない創造者たちも淘汰された。

 古き良きファンタジスタは変容を求められ、2トップの一角へと吸収されていく。そこで生き延びた古いタイプの10番は、寄せ手の圧力に負けない強さを誇る者たちに絞られていった。少なくともヨーロッパのトップレベルではそうだった。指導者の多くがプレッシングの「魔力」に魅せられ、次々とサッキの手法に追随したからだ。

 事実、ミランの練習場には連日のように世界各国の指導者が集まったという。かつてサッキ自身がハッペルの元を訪れ、その戦い方から着想を得たように。サッキの革新は、守備の在り方を根本から変えただけではない。プレーのテンポやインテンシティ(強度)が、従来のそれとはまるで違っていた。

 より速く、より強く、より激しく。時間と空間の奪い合いを加速させたわけだ。サッキのミランが登場した当初、対戦相手の多くはそのプレッシング以上に、プレーのテンポの速さやインテンシティの高さに面食らっている。

 それまで刀や槍で争ってきた者たちが鉄砲隊の一斉射撃を浴びたような衝撃だったか。ともあれ、新兵器の登場が従来の戦い模様をガラリと変えてしまった。

 特に90年代は、極めて闘争的なフットボールが展開されている。そこで技術レベルが高いうえに、攻守両面でフル稼働するオランダ人(万能戦士)の需要が高まったのも当然か。

 ミランの神話にダッチトリオが深く関わっていたのも偶然ではないだろう。全員攻撃・全員守備のコンセプトに基づくのがオランダ発トータルフットボールなのだ。そして、少年時代のサッキはその熱心な信奉者だった。

 サッキは言わば、攻めるための道具としてゾーナルプレッシングを編み出したわけだ。ミケルスやハッペルが手がけた旧式プレッシングもそうだったように。

 だが、ミランでサッキの遺産を継いだ後任のファビオ・カペッロは、それを守るため(失点回避)の道具に使い、先代以上の成功を収めている。最終ラインを下げ、リスクの高いオフサイドトラップを封印して、新時代のカテナチオへと改変したのである。

 そして、30年後のいま、攻めるためのプレッシングは現代風にアレンジされて、再び強者のメルマークになりつつある。引くな、下がるな。相手ボールでも前へ――。パンドラの箱を開けたのはサッキのミランだった。

著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中。youtube『蹴球メガネーズ』


This article is a sponsored article by
''.