1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第22回は、1987年に得点王に輝いた大器晩成のストライカー、松浦敏夫ついて綴る。
2年連続のゴールキング
3節、4節でもゴールを奪うと、ウインターブレイクを挟んで再開された1月31日の第7節、本田戦で2得点を挙げて得点王レースでトップを走り、チームも初優勝へ向けて突き進む。優勝を争った読売クラブと最後の最後まで競り合い、松浦もラスト3試合で連続得点するなど貢献した。しかし、最終節を終えて読売クラブと同勝ち点ながら得失点差で及ばず、日本鋼管は涙をのんだ。
優勝を果たした読売クラブでは、清水東高を卒業したばかりの武田修宏が活躍し、この年の年間最優秀選手にも選ばれる。しかし、リーグで挙げた得点は11でランキング2位。14得点を挙げた松浦が得点王となったのだ。
翌年の『日本サッカーリーグ年鑑』に総評を記した平木隆三・日本協会技術委員長も、「ここのところ足元のプレーに巧みさを増し、安定した力を発揮するようになっている松浦くんの年ごとの成長ぶりは、各チームにとって今後も脅威となるだろう」と綴り、その成長を認めていた。
32歳、190センチ、JSL2部に続く得点王と、異色ずくめのストライカーは、翌年も得点王となってJSLの歴史に名を刻む。だが日本鋼管はまたしても2位に終わり、その後も優勝には1度も手が届かなかった。
著者プロフィール/くによし・よしひろ◎1954年11月2日生まれ、東京出身。1983年からサッカーマガジン編集部に所属し、サッカー取材歴は37年に及ぶ。現在はフリーランスとして活躍中。日本サッカー殿堂の選考委員も務める