あの頃があるから今がある――。この連載では大学時代に大きく成長し、プロ入りを果たした選手たちを取り上げる。最終回となる第13回は、大ケガを乗り越え、中央大からプロに進んだFW皆川佑介だ。

上写真=中央大の主砲としてチームをけん引した皆川(写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

文◎杉園昌之 写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子、J.LEAGUE、Getty Images

選手寮で肉体改造

 プロ顔負けの迫力だった。上背は186センチ、体重は84キロ。皆川佑介の体は7年前も今も、ほとんど変わらない。中央大時代から格闘家を思わせるようながっしりとした体だった。線が細かった前橋育英高時代に比べると、体重は10kgも増加したという。

「選手寮の筋トレルームに半日以上こもる日もありましたから」

 まさに努力のたまもの。持ち味であるポストプレーには力強さが増し、大学レベルでは頭ひとつ抜けるレベルになっていた。

 前橋育英高に入るまではポストプレーという言葉すら知らなかったが、同校の山田耕介監督にFWのイロハを一から叩き込まれた。そして、中央大ではプロで通用する本格派ストライカーとして、開花していく。得意のヘディングに加えて、巧みに裏へ抜け出してゴールも重ねた。守備になれば、献身的にチェイシングもいとわない。これだけ条件がそろえば、人気が出るのも当たり前。大学4年時にはJ1とJ2を合わせて、計6クラブからオファーが届いた。当時、サンフレッチェ広島のスカウトを務めていた足立修氏(現・強化部長)は、その才能に惚れ込んだ。

「ずっと探していた1トップのストライカー。上背だけではなく、ボールを収める技術も持っている」

 相思相愛だった。広島のパスサッカーに惹かれていた皆川はすぐに決断。練習に参加したときに、佐藤寿人(現・ジェフユナイテッド千葉)から教えを請うたことも大きい。「とにかく相手を出し抜け」という助言を受けて、その言葉を心に留めた。

「タイプは違いますが、近くで一流のストライカーから技を盗みたいです。もちろん、僕も試合に出たいという気持ちを持っています」

 当時、大学4年生だった皆川の言葉は希望にあふれていたが、その1年前には絶望していた。左ヒザの前十字じん帯を断裂。東京・西が丘のJISS(国立スポーツ科学センター)に通い、長くて苦しいリハビリ生活を続けていた。


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