1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第17回はメキシコ五輪後の「釜本邦茂対杉山隆一」について綴る。

上写真=当時史上最多の4万人が集まった国立競技場。写真で分かるように国立競技場のスタンドが多くの観客で埋まった(写真◎サッカーマガジン)

文◎国吉好弘 写真◎サッカーマガジン

リーグ屈指の好カード

 1968年11月17日、当時中学3年生だった筆者は日本リーグ(JSL)第9節、三菱重工対ヤンマーディーゼルの試合を見るために東京・国立競技場へと足を運んだ。

 いつもならバックスタンドのハーフウェーライン付近、ある程度の高さでフィールド全体を見やすい席が簡単に確保できるのだが、この日はそうもいかなかった。いつもの場所はすでに埋まっており、空席を求めてゴール裏まで移動しなければならなかった。これまでの何倍もの観客が詰めかけていたからだ。

 その原因は明らかだった。その試合の1カ月前にメキシコで行なわれたオリンピックにおいて、日本代表が銅メダルを獲得するという快挙を成し遂げていた。サッカーが注目を集めていたのだ。しかも、そのオリンピックで7ゴールを挙げて大会得点王に輝いた釜本邦茂のヤンマーと、釜本のゴールの多くをアシストした快速ウイング杉山隆一の三菱が対決する試合だ。それぞれがチームのエースであり、両雄が激突するリーグ随一の好カードだった。

 この日の観客数は主催者発表で4万人。それまでの最多はメキシコ五輪前の6月に大阪・長居競技場で行なわれたヤンマー対東洋工業の2万3000人だったから、大幅な更新となった。国立のスタンドが完ぺきに埋め尽くされたわけではなかったが、それでも6万人収容、当時国内最大のキャパシティーを誇ったスタジアムが7割方は埋まっていた。

さまざまな集客のアイディアを練り、招待券を配るなどして、より多くの観客を集める試合も、のちには生まれたのだが、この日は純粋に試合そのものと選手の人気で多くの人を集めた。当時として画期的な出来事。観客の一人として筆者もスタンドでその熱を実感した。

 この試合はテレビでも東京12チャンネル(現テレビ東京)とNHK教育放送(現Eテレ)が生中継。NET(現テレビ朝日)が時間をずらして録画放映と、3局が番組として流していたことでも、注目度が分かるだろう。


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