現代版クロックワーク
トライアングルを使ってパスを回し、最終的には左右のウイングに勝負させる。そうした攻め方にリスクがないわけではない。
看板のウイングが1対1で負け続ければ、ほぼ手詰まりだ。しかし『マイティ・アヤックス』は、決してサイド攻撃一辺倒のチームではなかった。
CFのポストワークを使って、高密度で連動し、中央の壁をこじ開けるコンビネーションを持っていた。その完成されたアクションは、まるでクロックワーク(時計じかけ)のようだった。
まず、CFがくさびのパスを受け、背後に落とす。この球をワンタッチでゴール前に転がすと、そこにこつ然と現れた「第3の男」がフィニッシュに持ち込んだ。
いわゆる『3人目の動き』である。ファンハールのチームでは、それが徹底されていた。ウイングも例外ではない。
味方のパスを足元でもらう以上にスペースへ走り込んで受けている。しばしばスピード勝負に転じて突破の確率を高めてもいた。
CFの落としも、それを前へとさばくパスも、ほぼワンタッチ。しかも、球の転がる場所に「3人目の男」が先回りしている。相手ディフェンスは、そのスピードについていけなかった。
極端に個の力に依存することのないコレクティブなスタイルは、第二次黄金期のアヤックスの一大特徴。いかにも「スター嫌い」を公言していた指揮官のチームらしい。ある意味、共産主義的、社会主義的なサッカーだった。
やがて指導者(ファンハール)の「独裁」が際立つようになるのも必然か。それ自体の良し悪しはともかく、極めて現代的なチームだったのは確かだろう。
他国の指導者にも多大な影響を及ぼし、当時のアヤックスの試合映像をかき集め、徹底的に分析した指導者が、にわかに頭角を現すことになる。マルセロ・ビエルサ(アルゼンチン)だ。
彼もまた、ファンハールに通じる『マルクス主義的サッカー』の担い手だろうか。尖ったキャラを持つスターのいない一団を強者へ仕立てる手腕に卓越している。
理想のシステム(組織)が先にあり、その枠組みに収まる限りにおいては、スターにも居場所はある。例えば、アリエン・ロッベンのようなウイングのスペシャリストが、そうだ。
あらかじめ、システムの枠組みに収まるように育成されたタレント群あっての伝説。外から有能な傭兵をかき集めただけでは、おそらく『マイティ・アヤックス』は生まれていなかった。
いかにコピー(転用)しがたいシロモノか――。監督業を退くまで、ついにあの域に迫るチームをつくれなかったファンハールこそ、その難しさをよく分かっているはずだ。
ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中。