上写真=タイトルには手が届かなかったものの、チェコ代表の戦いぶりは強い印象を残した(写真◎Getty Images)
文◎北條 聡 写真◎Getty Images
円熟のバロンドール受賞者
勝った者が、強い――。
かの『皇帝』フランツ・ベッケンバウアーの名言には、素直にうなずきにくいところがある。
サッカーのメジャーイベントでは、「大会最強」と認められた敗者が数多く存在するからだ。いわゆる、幻のチャンピオンである。
歴代のワールドカップにおけるハンガリー(1954年大会)やオランダ(1974年大会)が、そうだ。EURO(欧州選手権)でも「最強の敗者」が、いた。
2004年大会のチェコは、その一つだろうか。大胆不敵。恐れを知らない前のめりのフットボールは、徹底攻撃で鳴らすオランダ人をも戦慄させる代物だった。
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日韓ワールドカップから2年後に開催されたEUROの舞台は、ポルトガル。大会直前、若き日のジョゼ・モウリーニョが率いるポルトがUEFAチャンピオンズリーグを制し、ホスト国に追い風が吹いているかのように見えた。
もっとも、優勝の最右翼と目されていたのは連覇に挑むフランスで、チェコはダークホースの域を出なかったが、チェコスロバキア時代を含む過去の実績ならば、スペインやポルトガルにも勝る。ワールドカップでは準優勝2回。EUROでは1976年大会で初優勝、1996年大会で準優勝している。
予選では強豪オランダを破るなど破竹の快進撃。チェコ、侮りがたし――との評価を固めつつあった。しかも当時、最も勢いのあるフットボーラーを擁してもいた。
パベル・ネドヴェドだ。言わずと知れた2003年バロンドール(欧州年間最優秀選手賞)受賞者である。当時31歳。まさにキャリアの円熟期にあった。
前のめりの徹底攻撃
チェコが国際大会の出場を逃してきた背景に、ネドヴェドと指導陣との確執があったと言われている。そこで新監督に就いたのが、カレル・ブリュックナーだ。
2002年1月のことである。前任者ヨージェフ・ホバネツの下で長くアシスタントコーチを務めており、代表の複雑な事情に明るかった。就任早々、代表での活動に嫌気がさしていたネドヴェドを説き伏せ、慰留に成功。さらに、管理体制を強化し、チームを一つに束ねる下地を作り上げた。
コンセプトは「徹底攻撃」だ。予選のシステムは4-1-4-1。最前線にそびえる身長2メートルの巨人ヤン・コレルをターゲットに、2列目の4人(左からブラディミル・シュミチェル、ネドヴェド、トマシュ・ロシツキー、カレル・ポボルスキー)が、攻守両面で敵にガンガン圧力をかける。
EURO予選では泣く子も黙るプレス・アンド・ラッシュ(奪取速攻)で難敵オランダを蹴散らした。まさに前進あるのみ――といった格好のフットボールだ。
この前進志向は、マレク・ヤンクロフスキーとズデニェク・グリゲラの両サイドバックも同じ。守備に専念するのはアンカーのトマシュ・ガラセクと、2センターバックくらい。受けに回るともろいが、そうした場面はめったにない。それほどプレスが強力だった。
ネドヴェドにとっては持ち味を発揮しやすい戦法でもあった。名将マルチェロ・リッピ率いる強豪ユベントス(イタリア)でも、似たようなスタイル(ハイプレス戦法)を実践していたからだ。
ところが、チェコは大会初戦で肝を冷やす。6月15日のことだ。相手は初出場のラトビア。楽勝かと思われたが、前半アディショナルタイムに先制されてしまう。それも、たった2本のパスで崩された。波状攻撃が「過剰攻撃」に陥り、敵のカウンターを浴びた格好だ。後半に折り返してからも、ラトビアの堅固なディフェンス網を攻めあぐねた。
しかし、残り20分を回った頃、救世主が現れる。1-1。73分に殊勲の同点ゴールを決めた、俊英ミラン・バロシュだ。
当時22歳。彼こそ、今大会に向けて指揮官が秘かに温めてきた、とっておきの切り札だった。