連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人、試合を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、2004年のEURO(欧州選手権)において、4強で散りながらも最強と謳われた戦いぶりを披露したチェコ代表だ。

エースが「消えた」不運

画像: 前線で圧倒的な存在感を示したFWのコレル(写真◎Getty Images)

前線で圧倒的な存在感を示したFWのコレル(写真◎Getty Images)

 優勝まで、あと3つ。その最初の関門が、北欧の雄デンマークとの準々決勝だ。

 3-0。スコアの上では快勝である。だが、ゲーム展開は戦前の予想を覆すものだった。

 前半、小気味良いパスワークで一方的にゲームを支配したのは、デンマークだ。しかし、スコアを動かしたのはチェコである。

「これまでとは違うステージでの戦いだ。だから別の戦い方をするのも当然だろう」

 試合後、ブリュックナーは周到な策をほのめかした。相手よりもオフが1日少ない事情を考慮し、前半は体力のロスを避ける慎重策に出たというわけか。

 事実、後半に入ってラッシュをかけたチェコは、49分にコレルが先制点。63分と65分には絶好調のバロシュが連続ゴールを決めて、あっけなく勝負を決めた。後半勝負の省エネ作戦がはまった格好だ。同時にそうした戦い方を可能にする「個の力」も際立っていた。

 天空を突くようなコレルの高さ、バロシュの速さ、精密機械のようなポボルスキーのキック、一発で裏を取るネドヴェドの縦パス――。平均点こそ高いが、突出した武器を持たないデンマークの面々との「格差」は歴然としていた。

画像: 準決勝のギリシャ戦で負傷退場したネドヴェド。結果的にエースの不在が響いた(写真◎Getty Images)

準決勝のギリシャ戦で負傷退場したネドヴェド。結果的にエースの不在が響いた(写真◎Getty Images)

 次の相手は準々決勝でフランスの足をすくった伏兵ギリシャ。それでも、チェコの決勝進出を疑う者は少なかったはずだ。
 だが、延長にもつれ込む激戦の末にファイナルへと駒を進めたのは、ギリシャの方だった。

 チェコの夢がついえたのは、延長前半のアディショナルタイム。CKからDFトラヤノス・デラスにヘッドで押し込まれた。この大会はシルバーゴール方式(延長前半でどちらかが得点しても決着はつかず、延長前半終了までは試合が続けられる。延長後半も同様)だったが、直後に試合終了。ギリシャには劇的でも、チェコにとっては、あっけない幕切れとなった。

 デラスを最後尾に余らせ、敵の攻撃陣をマンマークで封じるギリシャの特異な戦法にしてやられた。追い討ちをかけたのがネドヴェドの負傷退場だった。接触プレーで足を痛めて退いたのは40分。エースの「早すぎるリタイア」こそ、最大の敗因だったか。まさに不運と言うほかない。

 精神的支柱を失い、敵にがっちり張り付かれた2トップも沈黙。今大会の得点王となったバロシュの連続ゴールも、4試合で「打ち止め」となった。

「今大会で優勝できるなら、すべての称号を投げ捨ててもいい」

 それほどまでに今大会に懸けていたネドヴェドの「熱」は、あらゆる敵を凍りつかせるギリシャの打倒に不可欠だったのかもしれない。最終的にギリシャは決勝でもホスト国ポルトガルを破り、初優勝を果たすことになる。

「ギリシャは、ギリシャ人のためだけにプレーしたと言える。他の人々のことはどうでもよかった」

 大会後、モウリーニョが口にした言葉である。ギリシャは王者として「記録」に残ったが、他国を含む、数多くの人々の「記憶」に残ったのはチェコの方かもしれない。サッカーファンの多数派が、よほどの「ジャイアントキリング愛好家」でない限りは――。

著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中。


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