連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人、試合を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、1974年のワールドカップで未来を先取りした90分間を披露した2次リーグの「オランダ対ブラジル」だ。

上写真=世界に衝撃を与えたオランダ代表チーム(写真は決勝の西ドイツ戦の試合前/Getty Images)

文◎北條 聡 写真◎Getty Images

王国に噛みついた小国

 あの日、あの瞬間、世界が大きく変わった――。

 人類の歴史的大転換とは、常に後世の人たちによって、事後的に語られてきた。それはサッカー界の事象についても同じである。

『1974』

 少しでもサッカーの歴史をかじった者なら、この年がいかに重要だったか、容易に想像がつくかもしれない。まさに未来を先取りする「革命」が起きた年だ。

 それを象徴する出来事として、触れておかねばならないゲームがある。サッカー史を「それ以前」と「それ以後」へ二分する、運命の90分――。オランダとブラジルの一大決戦だった。

             ☆

 現代は「テロの時代」と呼ばれる。もっとも「戦争の世紀」として語られる20世紀においても、テロは起きていた。

 1970年代が、そうだ。日本の連合赤軍やパレスチナの過激派組織によるテロが頻発。1972年にはミュンヘン・オリンピックの開催中、イスラエル選手団の11人がパレスチナ系の過激派に襲撃され、殺害される『黒い9月事件』が起きている。

 その痛ましい記憶がまだ生々しく残る1974年、同じ西ドイツで初のワールドカップが開催された。同大会の組織委員会はテロの防止に神経を尖らせ、ミュンヘンの空港では厳重なセキュリティーチェックが実施されている。

 とはいえ、大会そのものは明るい話題に包まれていた。1930年のウルグアイ大会から数えて、10回目の記念大会であることに加えて、優勝国に贈られる新しいトロフィーが用意された。

 というのも、前回メキシコ大会で通算3度目の優勝を果たしたブラジルが、当時の大会規定により「ジュール・リメ」と名づけられた優勝カップを永久保持することになったからだ。当時は疑いなく王国ブラジルの天下だった。

 初優勝を成し遂げた1958年スウェーデン大会以降のサッカーシーンは、ブラジルを中心に回っていたと言っていい。4-2-4の新システムを編み出し、それを変形させた4-3-3を手の内に入れていただけではない。

 不世出の天才ペレに代表されるマジックの使い手が相手を欺き、見る者を魅了した。俗に『フチボウ・アルチ』(芸術的サッカー)と呼ばれるスタイルだ。

 王国の牙城を崩す一団は現れるのか。西ドイツ大会の最大の興味は、そこにあった。そして、彼らの前に敢然と立ちはだかったのは、ヨーロッパの小国だった。

マジック対ボール狩り

 ファイナルでは、ない。

 だが、歴史を大きく書き換える「天下分け目」の大一番と言ってもよかった。1974年7月3日のことだ。

 舞台はドルトムントのヴェストファーレン・スタジアム。そこで破竹の快進撃を演じるオレンジ色の一団が、前回王者のブラジルに激しく噛みついた。

 オランダである。

 本大会へ駒を進めたのは、実に36年ぶり。過去に出場した2大会では、いずれも1回戦(当時は最初からトーナメント)で敗退している。ワールドカップにおいては「新参者」も同然だった。
 前評判は高かったが、実際にはダークホースの域を出なかった。ところが、いざ大会が始まると、瞬く間に優勝候補の最右翼へ躍り出ることになった。

 初陣で古豪ウルグアイに完勝。スコアこそ2-0だったが、南米きっての試合巧者を圧倒する戦いぶりは、衝撃的ですらあった。
 第2戦こそスウェーデンと引き分けたが、第3戦はブルガリアに4-1と快勝。2次リーグに入っても勢いは止まらず、アルゼンチンを圧倒し、東ドイツを蹴散らして、最終戦を迎えていた。

 何より衝撃的だったのは、従来の常識を覆す「守備」にあった。当時の守備と言えば「後退」あるいは「退却」と同義語だった。
相手に球が渡ると、自陣に戻りながら守りを固めるのが一般的だった。ハンドボールやバスケットボールのやり方に近い。

 ところが、オランダは後退するどころか「前進」した。リヌス・ミケルス監督の言葉を借りるならば「ボール狩り」である。現代風に言えば、プレッシングだ。

 パッシブ(受動的)な守備からアクティブ(活動的)な守備への転換。逆転の発想による、コペルニクス的転回と言ってもいい。
 球を失うと、敵のFWには目もくれず、前進しながら一斉に相手に襲いかかった。現代人にとっては見慣れた光景も、当時の人々には画期的なものに映った。

 未来を先取りする斬新な戦法が果たして、ブラジルのマジックにも通じるのか否か。プレッシング対マジック――。それが、決戦をめぐる最大の焦点だった。


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