連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人、試合を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、1974年のワールドカップで未来を先取りした90分間を披露した2次リーグの「オランダ対ブラジル」だ。

罠をめぐる巧みな攻防

画像: チームの中心であり、頭脳だったヨハン・クライフ(写真はウルグアイ戦/Getty Images)

チームの中心であり、頭脳だったヨハン・クライフ(写真はウルグアイ戦/Getty Images)

 いきなりラッシュをかけたのはオランダだ。開始6分に、この日最初の決定機をつかむ。

 ファンハネヘムの糸を引くようなスルーパスから、左サイドを抜け出したシュルビアが折り返す。ゼ・マリアのクリアミスでゴール正面に転がった球を、クライフが左足で叩いたが、守護神レオンの驚異的なセーブに阻まれた。

 そして、受けに回ったブラジルが、一息つくかのように後方で球を回し始めた直後だった。戦慄の「ボール狩り」が発動する。一度に5人の選手がブラジルに襲いかかった。まさにプレス・アンド・ラッシュの幕開けだ。

 ブラジルにペレはいなかった。偉大な王様も33歳。すでに代表から退き、奇才リベリーノに栄光の『背番号10』を譲っていた。
さすがに戦力ダウンは免れず、開幕戦でドローに終わる不本意な滑り出し。かつての輝きは失われていたが、それでも「ブラジルはブラジル」だった。

 オランダの苛烈なプレスに慣れてくると、敵の戦法を逆手に取った策を打つ。オフサイドの罠をかいくぐる、2列目からの飛び出しだ。21分には、早くもオランダの「トラップ」を破りかける。

 2列目に引いていたFWのジャイルジーニョが最終ラインの背後へ抜け出した。だが、次の瞬間、目の前に現れた「影」に行く手をさえぎられてしまう。

 クライフの仕業だった。味方が一斉に前進する中、猛烈な勢いで後退し、敵の進路に先回りしたわけだ。彼だけが、ブラジルの企図を見抜いていた。

 ポジションはCFだが、その動きは神出鬼没。必要な時に、必要な場所に現れ、必要な仕事をやってのける。FWが最後尾に現れ、スイーパーのように振る舞う前代未聞のシーンは、常識をあざ笑う革命軍を象徴していた。

 オランダが完全に主導権を握ったかに思われたが、わずか3分後にブラジルが決定機をつかむ。2列目から巧みにオフサイドの網をかいくぐったパウロ・セザール・リマがフリーで抜け出し、左足を振り抜いた。

 シュートは枠を外れ、先制機を逃したものの、再三にわたるオフサイドの反則から学習し、短時間で攻略にこぎ着けるあたりが王国の王国たるゆえん。やはり一筋縄でいく相手ではなかった。

 ブラジルは、38分にも好機を迎える。リベリーノのロングパスを起点に右サイドを破り、その折り返しから混戦に。こぼれ球を狙ったジャイルジーニョのシュートは見事にGKの逆を突くが、わずかにゴールの枠を逸れていった。

 結局、前半のスコアは0-0。オランダの「ボール狩り」に端を発したオフサイドラインをめぐる攻防は決着せず、ゲームは後半へ折り返した。

伝説のゴールと一発退場

 後世に語り継がれる名場面は、このラスト45分にほぼ凝縮されている。2つの伝説的なゴールが生まれたからだ。

 スコアラーは「2人のヨハン」だった。クライフとニースケンスである。特に、ブラジルにとどめを刺すクライフの2点目は、見事なものだった。
 左サイドを破ったクロルの折り返しに走り込み、右足で鮮やかなジャンピングボレー。『フライング・ダッチマン』と呼ばれた男の珠玉のシーンだ。

 もっとも、得点に至るプロセス自体は際立って斬新だったわけではない。ニースケンスの先制点もクライフの素早いリスタートから生まれたものだった。

 一瞬の隙を突く――。

 古今東西を問わない、勝負事の鉄則だろうか。実のところ、敵の心理を見透かすクライフ個人の深い洞察力の賜物と言えた。
 むしろ興味深いのは、ブラジルの「らしからぬ姿」だった。後半開始早々の50分に痛恨の失点を喫してから焦燥感に駆られ、次第に我を失っていく。

 いつでもゴールは奪える――という王国ならではの心理的優位性は、ひとかけらもなかった。いかにオランダの圧力がすさまじいものだったかが容易に想像できる。
 攻めてナンボのブラジルにとって、撃ち合いは望むところ。たいてい相手は自陣に引いて、逆襲を狙っている。いつでも攻めることができるわけだ。

 相手がブラジルを倒そうと思えば、守りを固めるか、反則覚悟のラフプレーに出るか。事実、8年前のイングランド大会ではポルトガルらのヨーロッパ勢が「魔術」を封じ込めるため、何度も危険なタックルを仕掛けている。

 これにより、ペレが負傷に追い込まれ、3連覇の夢がついえた。別の言い方をすれば、ブラジルとまともに戦って勝てる国は、ほぼなかったと言ってもいい。

 オランダは、違った。

 危険な反則に手を染めず、堂々と渡り合う。ブラジルに真っ向から戦いを挑んだところに、何よりの衝撃があった。
 それも、かく言う『トータル・フットボール』の成せる業。言わば、全員攻撃・全員守備だ。

 当時は攻守の分業が常識だった。5人で攻めれば、6人で守り、5人で守れば、6人で攻める――。各選手は攻と守、2つの担い手にほぼ分かれている。だがオランダは全員で攻めて、全員で守った。攻守の両局面において「数の優位」があるわけだ。

 ブラジルの魔術師たちに重くのしかかった圧力の正体が、これだろう。攻めても、守っても、味方の数が足りない錯覚に陥る。
そうした未知の状況下にあっても、したたかに攻め筋を探るブラジルのすごみも実感できる。一方、時空を超えて、別のステージに身を置くオランダの戦いぶりは、単に「王国を打ち破った」という以上の重みを持っていた。

 ほぼ勝負の行方が決した84分、ブラジルのCBルイス・ペレイラがニースケンスに悪質なタックルを浴びせて一発退場。守備者とはいえ、あのブラジルが「加害者」に回るという異例の事態も、歴史の変わり目を物語るエピソードかもしれない。


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