上写真=クロアチア代表は堂々の戦いぶりで世界3位に輝いた(写真◎Getty Images)
文◎北條 聡 写真◎Getty Images
ヨーロッパのセレソン
それは歴史の偶然に翻弄された、10年越しの夢だった。
クロアチアである。南に美しいアドリア海を臨む、このバルカン半島の一角に、新しい才能が次々と芽吹いていた。
俗に言う、黄金世代だ。
若いタレント群の飛躍を待ち、やがて世界の覇権争いに打って出る——。そんな野心が渦巻いても不思議はなかった。
それからおよそ10年。紆余曲折を経て、ついにその時がめぐってくる。すっかり成熟した一団が、文字通り「黄金」の輝きを放つことになった。
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舞台はフランスだ。1998年夏のワールドカップである。この20世紀最後の大会に、史上最多の32カ国が一堂に会した。今大会から出場枠が拡大されたからだ。
ポスト冷戦構造が始まった時代だった。共産主義体制が崩壊した東ヨーロッパでは、ソ連を筆頭とする連邦国家の解体が進み、次々と新しい国が誕生していた。
1991年に、ユーゴスラビアから独立したクロアチアも、その一つだ。当時は、独立から10年に満たない新興国である。
ワールドカップ初出場となったフランスへの道のりは、険しいものだった。ヨーロッパ予選で苦しみ、プレーオフの末に辛くも出場権を手にしている。だが、代表を率いるミロスラフ・ブラゼビッチは、自信に満ちていた。
「クロアチアの選手はヨーロッパの最高峰にある。我が代表は言わば『ヨーロッパのセレソン』だ」
当たらずとも遠からず——である。実際、西の有力クラブに在籍する実力者を要所に揃えていた。しかも彼らの多くが、キャリアの絶頂期にあった。
2年前のEURO(ヨーロッパ選手権)では、初出場で堂々ベスト8に進出。国旗を模した独特のチェックのシャツに身を包む一団には、大会のダークホースへ浮上する力が潜在していた。
シュケルという決め手
クロアチアは、他国もうらやむ強力な決め手を持っていた。天才肌の大砲ダボール・シュケルだ。
とにかく、代表戦でのゴールラッシュがすさまじい。ほぼ1試合1得点のハイペース。失点をゼロに抑えれば勝てる計算だ。
いかに、その決定力を最大限に引き出すか。チームのコンセプトは、その一点に集約されていたと言ってもいい。
クロアチアの初陣は6月14日。同じ初出場のジャマイカを3-1で下し、好スタートを切った。
この試合でダメ押しの3点目を決めたシュケルは、続く第2戦で、これまた初参加の日本から値千金の決勝ゴールをかすめ取る。酷暑の中、味方が消耗し、チャンスは数えるほど。その一つを、涼しい顔で物にしてみせた。
これで2戦2勝。大国アルゼンチンとの第3戦(●0-1)を待たず、早々とベスト16への切符をつかんだ。
決勝トーナメント1回戦の相手は、幸運にも強豪イングランドではなく、同じ東欧のルーマニア。勝機は十分だった。
結果は1-0の僅差勝ち。この虎の子の1点もまた、シュケルが奪った。前半ロスタイムにアリオシャ・アサノビッチが倒されて得たPKを、冷静に蹴り込んだ。
これで8強入り。世界の頂点まで、あと3つである。だが、続く準々決勝で強豪が待っていた。
ドイツだ。クロアチアにとって彼らは、単に大国というだけではない。是が非でも倒したい、因縁の相手でもあった。